元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「責任は100%自分にある」

本来の日記部分

先日、「悪夢の」小銭入れを失くしたばかりなのですが、今日はそば屋に忘れ物をしてしまい。。
それは、「小銭」とは比較にならないぐらい、値の張るものなので、「あれ? ない?」となったときは血の気が引きました。

先日、小銭入れを失くしたときと同様、帰ってきた道を逆行して、道端を探しました。最初は、そのそば屋に忘れたとはこれっぽっちも思っていなかったのです。

でもまあよくよく思い返してみれば、そのそば屋だったかな、と思い、結局はお店に電話して取りにいったのですが。。

仕事もひと段落してさあ夏休み、というところに強烈に水を差されました。「うきうき」の気分が台無しです。


なんといいますか、何かが立ちはだかっていますよね。小銭入れ、あと今日の忘れ物といい、これは、解釈をしなければならないような気がします。

自分は今まさに思想的には「生みの苦しみ」でして。。
ここを抜ければ何か次のステージに行けるのかも、という期待もありつつ、独り相当もがいているところなのですが。。

「天」はそれをジャマしているのかもしれない。「そっちには行くな」と。
あるいは、単なる試練かもしれません。そして、意味があるのかもしれない。たとえば、「モノに拘泥するな」みたいな感じの。。

あるいは、何かの戒めなのだろうか? 

とにかく、現実に発生している「偶然」に対する解釈は、必要なときと必要でないときがありますが、今は必要である、と確信している次第です。


個人的(内面的)には「今が大事なとき」なのです。。

  • 体調

指の皮がむけますね。。 原因不明。

抜粋・紹介

  • 斎藤一人さんメルマガ
    • 「責任は100%自分にある」

「責任は100%自分にある」と考える。すると、お客さんに対して笑顔ができていなかったのではないだろうか、挨拶ができていなかったのではないだろうか、改良すべき点が思い浮かびます。
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斎藤一人さんは「何かが起こったときに、100%自分が悪いと思えば、ものすごく簡単に改良点が見つかる」とおっしゃっています。反対に、失敗の責任を周囲に求めてしまうと、なかなか次の成功への一歩が踏み出せないようです。確かに、自分の非を認めない限りは改良点を考えることもしないでしょうし、成長していくことは難しいですよね。
斎藤一人さんは、改良点を考えるコツとして「自分も周りも楽しくなるにはどうしたら良いか」という視点で考えることを提唱されています。
(抜粋・紹介おわり)
斎藤一人さんのメルマガに繰り返し出てくる「責任は100%自分にある」。
これがわかっていないヒトがいかに多いことか、ということです。逆に、これさえ認識しておけばそれでいいのに。。と思います。