元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

メルマガより

抜粋・紹介

  • 斎藤一人さんのメルマガより
    • 「成功の3要素」

お金だけでは幸福を手に入れることはできません。人間に必要なものは、お金のほかに、健康な身体と優しくて豊かな心です。この三つが揃うと、すべての願いが満たされるのです。(『斎藤一人の絶対成功する千回の法則』(講談社)より)
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斎藤一人さんは「お金であらゆる願いを叶えることはできない」とおっしゃっています。お金が成功の大きな割合を占めていることは明らかなことですが、お金だけでは完全ではなく、さらに健康な身体と豊かな心が必要なのだそうです。確かに、一時の成功を考えるならばお金が最も大事かもしれませんが、成功の持続を考えると、健康な身体と豊かな心はきわめて重要な要素になりますよね。

    • 「整然の重要性」

雑然とごちゃごちゃものが置いてあるような、物置か家かわからないようなところに住んではいけません。そういう家の人は、だいたい神経をやられ、ノイローゼになります。(『普通はつらいよ』(マキノ出版)より)
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斎藤一人さんは「おかしな病気になったら“家の中はきれいだろうか?”と考えてほしい」とおっしゃっています。家が整理整頓されていない場合、運気はなかなか開かれていかないといいます。そして、いらない物は人にあげ、使わないものは人にゆずることが大事なのだそうです。掃除やキレイさの重要性は最近よく指摘されていることですが、斎藤一人さんによると体調にも大きく影響する大きな問題だといいます。家の掃除には気を払っていきたいものですね。
(抜粋・紹介おわり)

抱負(2008)書き出し済 ※1/31まで掲載

  • コンセプト
    • 今年は「僕」
    • 「だからナニ」
  • 基本方針
    • あえて損をとる
    • 自身の「2.0化」
  • カネ関係
    • 貯蓄、投資の目標額を設定して、それを実現させる
    • 後悔しない支出をする
    • 近しい他人のためにカネを使う
    • 自身の健康のためにカネを使う
  • 健康関連
    • 晩酌の廃止
    • 脂っこいものを食べない、おなかいっぱいにならない
    • お茶、水なしで食事する
    • 土日、それほど食べない
    • 「つきあい」飲みの(ほぼ)廃止

再録

YESかNOかとかAかBか、という回答を突然強要する質問は、相当失礼にあたるとおもいます。

ありがちすぎるほどありがちな例としては、「食事のとき好物は先に食べるか、後に食べるか」で、私の回答は「先に少したべて、最後に少し食べる」ですが、それに対して「先か後かしか選べないとしたら?」と追い討ちをかけてくる人がいます。

「そんなのわからない」というとそれでもあきらめず、「どちらかといえばどっちか」とあくまで二択にこだわります。

強制的にどちらかを選ばせてどうするのでしょうか。私が、二択しなかったら誰かに脅されるのでしょうか。

あるいはそれによって性格診断でもするのでしょうか。だとしたら、簡単な質問で性格を断定することも相当失礼だと思います。

その日の気分によって最初に食べてしまうこともあるでしょうし、最後まで残しておきたい日もあるでしょうし、行動というものはそんなに画一的に決められません。

「二択しかない質問をしてもよいか」と最初に聞いてほしいものです。

昔、ヒトの性善説性悪説を確認するという話で、教育を全く受けていない子供が、川でヒトがおぼれているのを見たときに、助けるか助けないか、ということを聞かれたことがあります。

先天的に助けようという行動を起こすヒトもそうでないヒトも、そっぽ向いているヒトもいるでしょう。「もともと性善か性悪か」にわけられるはずもありません。(もともと「ふつう」のヒトもたくさんいるでしょうし)

なので、それを説明した上で「よくわからない」という答えを返すと、「質問を聞いたとき、ぱっと思いついたのは どちらかといえばどちら寄りか」などとあくまでどちらかを選ばせようとするのでいろいろ反論していたら、最後には「別にいーじゃん、どっちか適当に答えとけば」と言われました。

そもそもこの質問自体が「別にいーじゃん」レベルの適当な話です。自分はそれに対して真面目に考えた結果として、二択できなかったということを伝えたのですが、相手は、そもそも真面目に考えることすら望んでいないという。。

今思い返すと、変わらないなあ、と思ってしまいます。当時は深く考えることもなく、理解ができなかったのですが、今考えてみれば、これも自分の性格の一環なのかなあ、と思ったりします。

私は、会話のキャッチボールを、人を選んであえてしないことがありますので。。「剛球を投げ返す」とか、「ヘタなふりをして後ろにそらす」とか。。

「真面目に考えることを望まれていない」というのは良いサジェスチョンだったと思います。たとえば「庶民」は、日本の財政の危機的状況について「真面目に考えることを望まれて」いません。結果、良いカモにされてしまいます。

これでは話が大きくなってゆきすぎなので話題を変えますが、日常会話が以前と比べて軽くなっているというのはあるかもしれません。

自分は「上滑りする言葉」という表現をしますが、日常会話はすべて上滑りしてゆき、じっくり考える人間はおいてゆかれるような気がします。また、相手にじっくり考えさせようという意図の言葉をぶつけることは敬遠されます。

でも自分は、上滑りしない言葉を蓄積して、日常会話でもなるべく使用すべきだと思いそれを実践していますし、このような日記をつけることは良い鍛錬であると思っています。

それが「個性」だと思います。