アリ 嫉妬羨望から、丸投げへの2段階攻撃
本来の日記部分
「皆勤賞」って、すごいですよね。。
なぜ、一日も休まず出勤なり登校なり、できるんだろうか?
それはつまり、おおよそ問題なくうまくいってる、ということの証左ですよね。家庭も学校(会社)も。
とりあえず「行く」ということは。
休まないということは、ある程度よく食べ、よく寝ているということだろうし。
そういう人は、完全にそういう生活が「リズム」になっているということでしょうね。
活動・活動に関して(散歩、都市論etc)
- 自殺や死亡など
現職閣僚が赤坂の議員宿舎で自殺し、慶応病院に運ばれ、また同日にはZARDが慶応病院内で死亡した(これもたぶん自殺?)とかで、とにかく付近はずーっとヘリがうるさかったですね。
こういうときは、日本の中心にいるのだなあ、という思いを強くしますが。。
そういえば3月まで、議員宿舎のすぐ近くの現場で働いていたのでした。
再録・継続
- アリです。(20070118)
(略)アリがキリギリスの真似をしてもキリギリスに勝てるわけがないのです。アリはアリらしく。
私の「クリエイティビティ」や「横文字職業」に対する嫌悪感、違和感はすべて「横恋慕」であって、アリがキリギリスに嫉妬してキリギリスになりたいと願い、実践までしてしまった悪しき結果です。
アリはアリらしくしていればいつかはキリギリスに勝てるのに、なぜ負けるほう(キリギリスになろうとする、ということ)を選ぶのか。。
青春期ならそういう迷いがあり、道を踏み外すことがあっても許せますが、30代でまでそれを続けなくともよいはずです。世の中の若い世代、子供たちには、早い時期にそれに気付いてほしい。ここに悪しき失敗例がいるので。。
(略)
(再録おわり)
人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師
- 嫉妬羨望から、丸投げへの2段階攻撃
日常生活を淡々と文句なく過ごし、健康的な生活を送り、それだけでなく「継続」による効果がてきめんに出てきて、そのパワーを目の当たりにすると、ヒトによっては「出る杭は打たれる」よろしく嫉妬羨望による攻撃を始めます。
たとえば、「そんな、毎日毎日コツコツ続けて楽しい?」的なことを、言い出しますね。それは、自分がそれ(継続すること)をできないからです。
あるいは、「あのヒトはちょっと変わっている」的なことを、ネガティブイメージを吹き込みつつ他人に吹聴したりします。
その「引きずりおろす」ための攻撃も、強い意志を持って無視しているとやがては収まります。
ところが、収まるのはいいのですが、そこからがもっとタチが悪いのです。
次は、「出る杭」が完全に表出してしまったらもう引っ込めるのはあきらめて、「○○さんは素晴らしいことを続けていらっしゃる。今度からいろいろ○○さんにお願いしましょう」と、コロっと変わってきます。パワーを「利用する」にシフトしてゆくわけです。
そのパワーをおすそ分けしろよ、ということですね。庶民がなかなかできない努力をして継続して、必死になって得た成果を、周辺にタダで分けろ、というわけです。それが当然である、と。
これも、個人的にちょこちょことお願いしてくるだけでなく、だんだん「○○さんにお願いするといろいろ便宜をはかってくれるらしい」と他人に噂を広める輩がいます。
それにより、わらわらと「タカり」がやってきます。タダ乗り大好きなヒトたちです。
そして、誰も、同じようにやろうとしない。。
黙ってればおすそ分けがくるから。
「継続して努力できる」人材に丸投げしてしまう。
「庶民」を自認するヒトたちはラクなほうへ逃げる。そして、タカる。
この日記でも何度も書いてあるとおり、その執拗な2段階攻撃によって、「継続」して何らかの成果を残してゆくことを「馬鹿らしい」と感じてしまい、やめてしまうヒトたちがいます。
努力を継続することが、自分自身のためでなく、他人のタカりにも対応しなければならなくなり、やがて自転車操業に陥り、破綻します。
それが、とてももったいない。この国にとって。
この損失が、「悪しき平等主義」の弊害なのです。
このトピックはあえて具体的例を挙げていませんが、わかる方には痛いほどわかるはずです。
我々の血のにじむような努力と、それにより得た成果に対して、嫉妬羨望を根拠とする攻撃をしてきたヒトたちには、反撃はせずとも、その事実を決して忘れてはならない、と強く思います。
たとえば、努力の結果ある程度の名声を成したとして、そこですり寄ってくる人間(「杭」が出ようとしていたときには攻撃の手を緩めなかった)に対して、過去を清算してはなりません。
今読んでいる漫画「鈴木先生」にも似たようなことが書いてありましたが、過去を清算しないことで「ココロの狭い人間」と非難されたとしても、全く問題はないのです。
ある意味そのとおりなのですから。
攻撃されたことを忘れてしまったら、攻撃したモノ勝ちではないですか。それでは、不当な攻撃をした側がいつまで経っても反省しません。
そんな世の中でよいのですか?
攻撃好きなヒトたちに対しては、どんどん「ココロの狭い人間」になりたいものです。