元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

瞑想とは無を食らふこと

ameblo.jp

いつもうっすら思ってることなんだが
「瞑想」ってのはね、いってみれば「無を食らふ」ことなんだよね。
いわゆる「心」にとっては、たとえばヒーリングの音楽とか?そういう「やさしめ」の情報をいれるよりも、実は「無」ってのがもっとも栄養であるという。。

っていうのはリアル社会の「食」にも応用できるんじゃないかな、ってね。

カンタンにいうと食べないこと(すなわち「無」)がもっとも肉体にとって重要な栄養たりうるのでは?っていう。

いやくだらない反論受けたくないから最初から書くけど生物は何かしら食べなきゃ生きていけないっていうのはわかりきったことなんだよ。

瞑想だってずっと「無」を食らっていたら心は気が狂っちゃうと思わない? 同じ同じ。
だから「たまには」ってこと。あまりにレベルの違う栄養価であるがためにたまにしか食らうことができないというw

快適に?生きていくためには適度なノイズも必要で、それと同じぐらい適度な「無」も必要だっていうこと。
食も同じ。適度な、実はおいしくてたまらないジャンクフードも21世紀はゼッタイに必要で、それと同じぐらいデトックスも必要だってことだ。

ノイズだけに囲まれても人間気が狂っちゃうし、無だけでも同じ。
ジャンクフードとか飽食が延々と続いても人間は病気になっちゃうし、ぶくぶく太ってダメ人間になっちゃうし、でも何も食べないとやせ細って死んじゃう。