元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

語る禅僧(2)


龍澤ヒデアキのバックドア [引用]語る禅僧(2)

(以下、引用)

遊行中の一遍上人が、ある武士の館で念仏を勧めた。そこは酒宴のたけなわだったが、主人の武士は装束をあらため、口を漱いで念仏を受けた。上人がそのまま立ち去ると、この武士は、あの坊主は日本一のインチキ坊主だと言い放った。そこで客人が、だったらなぜそんな僧から念仏を受けたのかと聞くと、武士は答えた。念仏に嘘はないからだ、と。

後でそれを伝え聞いた一遍上人は、その武士こそ本当に念仏を信仰している、と称えたということである。

「依法不依人」と仏教は言う。けだし、たのむにたる宗教者とは、自分の人格を通じて、最後は教えそのものへと人を導こうとするのだ。そこに、まぎれもない本物の謙虚さがある。

ならば、教祖様、などと呼ばれて悦に入っている連中は、所詮、自分程度のものしか信じられない大馬鹿者、でしかないだろう。