元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

集団に属さないということ


集団に属さないということ - シニアICT土方の【IT公論】

集団に属することに、「恐怖感」すら、ある。
だから、1人でいる。1人で組織や集団に対して、対峙する。

ホントいえば、集団に属して集団に対峙したほうが、ラクだし、世の中生きやすい。(「就職する」っていうのは、そういうことだよね)

この「ラクさ」加減は、そうとうなもんだと思う。
集団に属する人間は、フリーのオイラたちをみて、お気楽極楽でいいよね、なんてことを言うのだろうけど。。

そう思うところからして「カゴの中の鳥」なのであって。

逆にいえば、集団に属することによるタイヘンさ(しがらみとか)なんかね、集団に属さないで生きることのタイヘンさに比べたら、へでもないっすよ、たぶん。

真の自由(ほっぽりだされる自由)と、箱庭の中の自由。
箱庭の中にいて生意気に自由を求めると、しょっちゅう、そこかしこのカベにぶつかる。
でも、そのカベがない世界に放り出されてしまうと、カベによって気付くということがない。カベにぶつかる前に、自身気付きを得なければならない。それが自由。


ずっと、自分が集団に属さない確固たる根拠を、探し続けてるのかもしれないね。

それは、まずは「めんどくせえ!」と。(by池袋WGPのマコト)
いろいろなことが面倒くさい。
でもそれだけが理由じゃなくて、やっぱり、「恐怖感」。。他力で、なんだかクサった集団に放り込まれてしまったときに自分もクサってしまうのではないか、という恐怖。。


そういえば池袋WGPで思い出したけど、ただ単に、1人で生きている(ように他人からみられる)のがカッコいいからじゃないのかな。今そう思った。

カッコいいから、というか、1人というのはカッコいいのだと自分は信じて疑ってないわけね。

でも中には、集団でつるんでいろいろなことを実現させたり(いいことも悪いことも)、支配欲を満足させたりするほうがカッコいいと思う人種も、いるのだろう。


ただただ「カッコいい」と思うことをやる。。
それは、相当、ムズカしい。

まず、自分が「カッコいい」と思うことが揺らぎないものでないといけない。そうでないとそもそもカッコよくないし、自分もすぐイヤになるし、他人からもカッコいいと思われない。

そこまでくるとそれはもはや「主義」というか。
強固にできあがった「主義」なのであればそれは貫き通したほうがいいのではないか、と。