元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

引越し 家を建てるか、家を選ぶか

2012-04-17 - 【ひとり公論】([新庶民]論)

僕の思う引越しというのは。。
郊外に、自分の望む間取りの家を建てる、というイメージではないのです。
すでに存在している、素晴らしい物件と巡り合う、というイメージ。
なので、その出会いは多分にフィーリングに左右されるので、その物件は戸建なのかもしれませんしマンションなのかもしれない。
しかるべきときにしかるべき(自分の身の丈にあった)物件と邂逅する。。
相当、僕の私見が入るのですが。。
前者より後者のほうが、難しいような気がしているのです。レベルが高いといいますか。。
前者、つまり、自分が望む間取りの家を建てる、というのも、おそらく相当素晴らしいのですが、すごく「必死」な感じがするのです。
それと、出逢えない「から」建てる、ということに対する違和感。。
世の中は、男の「甲斐性」として、自分の家を持つ、というのは未だ賞賛されますし、それが建売でなくある程度間取りの希望がとり入れられるのであればなおさらです。
僕は、その「甲斐性」よりも、すでに存在している物件に巡り合いそれを買い求める(賃貸でも買うでも)ほうがヒトとしてレベルが高い、といっているわけですから、ある程度の反論はあるでしょうね。
僕らはケンチクのシロウトなわけですから、世の中には、僕らが考える理想の間取りをはるかに超えた素晴らしい物件がいくらでもあると思うのですね。玄人がつくった。。
自分の希望というものは限界がある。自分の人生、生活の域を出ませんから。
それを超越した物件に出会えたほうがよいのではないかと思うのですけれども。。
多くのヒトたちは「巡り会えないなら、つくってしまおう!」なのでしょうね。
それを否定しているわけではないのですが。。