元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

悪銭身につかず

悪銭身につかず


松下幸之助さんや、斎藤一人さん(このおふたりは、この国では「両雄」といっていいぐらい並び立つべきの、同じレベルだと思います)の本などを読んで思いますのは、商売というのは、お客さんが喜ぶものをつくって、それを適正な価格で、誠意をもって売るということです。

そのシンプルさが大事なのであって、それを実現するための方法論が真の「マーケティング」であるといえます。

ところが、今現在世の中に流通している「マーケティング」の考え方というのは、なぜかもっとヒネくれていて、わざとわかりずらく複雑にしていて、もっともっと戦略的なものであり、つまりは本質から乖離しています。

要は世の中の役に「立たない」ものをいかに高く(場合によっては法に触れない範囲で騙して)売りつけるか、ということです。そのための方法論をえげつなく追求してゆくのが「マーケティング」です。

誠意をもってモノを売って、得たお金は良銭です。商売でめぐってくるのは悪銭ばかりではないのです。

正当な商売人は胸をはって「儲けさせていただきます」といっていいのです。

商売というのは、儲けのためにやるのですから。

でも、不誠実な商売をやっている人たち(たとえば、はっきりいいますが不動産業とか)うしろめたいキモチを持つべきなのです。彼らは意図的に悪銭を集めようとしているわけですからね。

ところで、「悪銭身につかず」とはよくいったもので、後者(不誠実な商売を意図的にしているヒトたち)はだらだらとカネを使うような気がします。ということは、見方を変えれば、だらだらとカネを使わないヒトのところには良銭がめぐっていっているのかもしれません。

もっといえば、だらだらとカネを使わないようになれば良銭がめぐっていく(それまでめぐっていっていなくとも)ということでしょう。

カネの使い方を変えることです。カネの使い方にも、誠意の有無というのは、あるのです。