オリジナリティの話
現代社会を生きていると、どこまでもどこまでも、オリジナリティ「でないもの」が追いかけてきます。
オリジナルな考えだと思っても120%それはオリジナルではなく、「アレンジの妙」にすぎません。
たとえば何か対象があり、それについての「意見、考え」というのは、あらゆるものが即座に出尽くすなあ、という感慨がある。ということは、オリジ ナリティというのは瞬時に消滅します。そんな時代にオリジナリティを求めてもムダなのかもしれない、と。多くのヒトは考えています。
こうやって書いていることも受け売りですね。
こういう時代に「オリジナリティ」なるものを保持、維持するのはどうするか? 諦めていいのか? と考えこんでしまいます。
。。というのは、ウソです。こういう考えに行き着いてしまうヒトが多いのですけど、
現代社会ではオリジナリティ「でないもの」が追いかけてくるのは事実ですが、逆に、アナタ自身が唯一無二の存在であることから逃れること、こそが 不可能なことなのですよ。
マスコミがアナタを、誰かのコピーロボットにしたがります。極限までそうしてやろうと努めても、アナタは結局根本のところではそうはならない。
ヒトビトの悩みは、そこなのです。オリジナルになりたいのではない。自分は誰か(「尊敬できるヒト」「芸能人」など)のコピーロボットになりたく て仕方ないのに、自分がオリジナルであることが足かせになっている。つまりそれは、「凡人」というカテゴリに属するオリジナルであるということ。 そこから目を背けたくてたまらない。(【重要】マーク)
だから、むやみやたらに自分探しの旅に出てしまうのですね。探さなくとも、ほしい自分、なりたい自分はそこにあるでしょう? なんですか「スー パーモデル」であったり「トップアスリート」であったり(別になんでもいいのですが)
なりたい自分(ゼッタイになれない自分)は自分の理想像として厳然と意識に存在しているのに、なぜか「旅」に出る。。 旅に出ても、ないものはな いのに。
旅に出るのは勝手ですが、戻ってきたら、「自分」を磨きましょうね。