元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

致知

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■「致知随想」ベストセレクション 「コンプレックスを力に」若山弦藏(声優)

声優の道を歩み始めて五十年近くになる。

(略)

声優というからには、さぞかし声に自信があるのだろう、と思われるかもしれない。しかし私は、自分の声をいまだにいい声だとは思っていないし、こ の声には若いころからずっとコンプレックスを抱き続けてきたのである。

私の独特の低い声は、小学生のときに声変わりをして以来のもの、である。しゃべるたびに変な声だと笑われて自閉症ぎみになり、いつも独りで本を読 んだりレコードを聴いたりして、孤独な思春期を送った。

高校二年生のときである。音楽の授業で、一人ずつ前へ出て課題曲の『浜辺の歌』を歌わされることになった。私の番になると、級友の間からクスクス と笑い声が起こり、歌が終わるころには教室中が笑いに包まれていた。しかし、先生は私にこういってくれたのである。

「あなたはいま、他の人より一オクターブ下で歌ったんです。あなたのような声を本当のバスというんです。日本人にはとても珍しい種類の声だから、 大切にしなさい」

それまでずっと、自分の声に悩んできただけに、その先生の言葉は強く印象に残った。そして、何とかこの声を生かす道はないか、と私は模索し始め た。たまたまNHKの朗読放送研究会が会員を募集していることを知り、清水の舞台から飛び降りる思いで受験に行った。後から聞いた話だが、四人の 審査員のうち三人までが、「こんなマイクに乗らない変な声は使いものにならない」といっていたらしい。しかし一人だけ、これからは多彩な人材が必 要になるから、といってくださる方がいて、何とか採用されることになったという。

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上京したときから常に、「今日しくじったら明日の仕事はない」と自らにいい聞かせ、常に真剣勝負で仕事に臨んできたことがよかったのだと思う。こ の気持ちを持続させるため、私は二つの課題をつくって自分を律し続けてきた。

一つは絶対に遅刻しないこと。

もう一つはNGを出さないことであった。

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常にその姿勢で仕事を続けていくうちに、「弦さんはトチらない」という評判が定着していった。

もっと気楽にやれば、といわれることもあった。しかし私は、自分で決めた課題を、何が何でもやり通さなければ気が済まなかった。それは私の性分で もあるが、やはり自分の声にコンプレックスを持っていたことが大きいと思う。いまでは、コンプレックスを背負ってきたことが、逆によかったのでは ないかとさえ思えるのである。生まれつきの美声で楽々と仕事のできる同業者も多いなかで、私はまず、この変な声を磨き上げることに大きなエネル ギーを費やさねばならなかった。ハンディを克服する努力を怠りなく積み重ねてきたからこそ、今日まで第一線で活躍することができたと思うのであ る。