元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ユートピア思想、みたいな(2)

たとえばカネをかければ最高級ホテルのスイートルームに数日間宿泊できるのでしょう。そこで贅を尽くしたサービスを受けられるのかもしれませんが、チェックアウトしたらそこでおしまいです。

そのスイートルームが「ユートピア」であると定義したいのであればしてもよいと思います。

でも、ユートピアにい続けるのにはカネが必要で、カネを得るためには働かなければなりません。

日常ではカネを稼ぎ、ユートピアには年一で数日滞在するのが目標、というのであればそれはユートピアではありませんね。

ですが、それはそれで相当な努力が必要なサイクルですので、否定はしません。


なんといいますか。。
「約束の地」に到達するのが「終わり」(目標)と考えているヒトが非常に多いのです。間違いなくそこが「始まり」なのに。。
「約束の地」に非常に早い時点で「タッチ」してしまったがために、その後の人生(老いるまでずっと!)苦労し続けているヒトがたくさんいるのだと思います。

そこが「始まり」であるのだ、と、強く理解することができれば、それほどtragedyにはならないはずです。
そこにタッチしてしまったら始まってしまうのだ、という考え方ができるのであれば、そこにタッチせず引き返してくるという選択肢も視野に入ってくるはずです。

そう、そこからが始まりなのですからそこからの維持・管理が死ぬほど大変なのです。

いえ、実はそれほど大切ではないのですが、約束の地にタッチすることが「終わり」だと考えているヒトには死ぬほど大変であるということが言いたいのです。


「結婚」ってそういう感じですよね。。そこが始まりだというのに、結婚がゴールだと考えるヒトがいかに多いことか。。