元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

継続

糸井重里さんが、ご自身の「ほぼ日刊イトイ新聞」のコラムで素晴らしいことを書かれています。
(何月何日付けかは忘れてしまいました、すみません)
 
・しっかり継続する、というのは、
 「ただそれだけじゃないか」と思われがちなのですが、
 ほんとうに「ただそれだけ」です。
 しかし、「ただそれだけ」だからやってごらん、
 と言われて、言われた人が
 かんたんにできることじゃぁありません。

 『ブタフィーヌさん』連載が1000回を迎えたこと、
 「ただそれだけ」なのかもしれませんが、
 うれしい、たいしたことです。
 いいですか、その間に、大病もしなかったのです。
 もちろん犯罪を犯したりすることもなく、
 自棄っぱちになって逃げ出したこともなく、
 お話を考えたり、色をつけたり、送信したり、
 じぶんでながめたりを続けてきたということです。
 うん、「ただそれだけ」ですよね。

 「ただそれだけ」なのだけれど、
 その「ただそれだけ」を、やってこられたことについて、
 ちょっと自信を持ってもいいかもしれない。
 ぼくは、強くそう思っています。
  
 悲しくて、なにもしたくない日があっても、続ける。
 悲しい日なんかないように暮らしながら、続ける。
 どっちも、なかなかたいしたことです。


何かを、1日続けるのは100%できます。これが3日、1週間、1ヶ月、3ヶ月、半年、1年。。という感じで時を経ると、続けられる人間は何パーセントになってゆくのでしょう。

たとえば、半年続けられる人間が10%であるとするならば、それは僕らが学生の頃経験した「偏差値社会」においては十二分に、一流大学に入れる偏差値ではないですか?

続けられるヒトは「選民」であるといってよいのではないかと、強く思うのです。
僕自身は、いろいろなことについて「平日のみ」とか「土日のみ」なら続けられる自信があるのですが、毎日というのはなかなか。。ムズカしいことです。
でも、「平日のみ」でもだいぶマシかとは思います。

でも問題は、イチロー選手も言っているように、こだわるべきは打率よりも安打数なのですね。
7日中5日実践するのを何週間続けたか、ではなくて、しつこくしつこく、それを何回続けたか、が大事なのです。