元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

幸せと豊かさの違い

好きかキライか、と、豊かさは違うような気がします。

好きだからやる、で、その「好きなこと」が積み重なったところでなぜか「豊か」にはならない。

「甘いものはクサりやすい」と似ているような。。


もう少し(このGWに)考えるべきことかもしれません。。

豊かな人生を送るためには、義務の遂行も不可欠なのです。

たとえば。。
好きなことをやる。たとえば仕事にする。それはすばらしいけれど、あまりに忙しくなって、家のことが何もできずに、おカネを稼げるようになったから、と、メイドさんを雇って家のことをやってもらう。。

。。僕は、どうやら「楽したがり」がキライのようですね。


でも、選ばれし人間というのもいるのです。自分の天職を全うすることが、世のためヒトのためになる。
だから、家のことは誰かに任せてもよい、というヒトが。。


ちょっと前までは、好きなことだけをできる人生、というか、好きでないことを極力やらなくて済む人生こそシアワセだと思っていたのですが。。僕のその考え方が変わったのか。。

いや、そうではないですね。何がシアワセで何が豊かなのか。シアワセと豊かさというのがカンゼン一致しないのではないか? という問題提起なのですね。

物質的に豊かであることで人間はシアワセにはなれない、というのは、人間の営みにより証明済みなわけですが。。


やりたくないことをやらずに済ます、人間の浅はかな知恵というか。。それをヒエラルキー的に下の人間に押し付ける。強制する。
あるいはカンゼンに無視する。

そういう行為を看過できなくなってきた、ということでしょうか。

やりたくないことは、極力効率化する、という姿勢が豊かかな、と。
そこには、結局は自分で引き受ける、責任をとる、という「覚悟」が感じられるので。


「豊かさ」というのは物質的に限った話ではない。
精神的豊かさというのは、結局はイコール「シアワセ」ということです。

好きなことだけを(えげつなく)やり続ける、そして、キライなことを(えげつなく)排除してゆく、という姿勢に「シアワセ感」を感じられないのは、事実でしょうね。


結論は、わかっているのです。もう少し議論を重ねなければならないのですが。。
「義務を日々遂行できる生活に感謝すべし」ということなのです。

結論に、一足飛びに飛びすぎなので、そこに至るまでもう少し考えなければならないのです。