元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「神との契約」

ふと目が覚めると、家に、巨大な虫が繁殖していた。
まず、寝室に巨大なカマキリがいたので、格闘の末窓の外へ捨てた。別に痛くなかった。
家にいたのはカマキリだけじゃなかった。根こそぎ窓の外へ捨てた。

窓の外はドブで、キタナかった。人間の死体も浮かんでいた。
おそらく、捨てたらもう上がってこないだろうな、と、思った。

巨大な虫たちを根こそぎ外に捨てたら、部屋に自分のコドモたちがいないことに気付いて、ものすごく不安になった。
(おわり ここで目がさめた)

久々に記憶に残る夢が、強烈でした。。ものすごくイヤな感じで。


  • 神との契約

誰に言われたわけでもないのに、朝早く起きたり、掃除したりするのは、それは「神との契約」なのであろう、と、最近は思います。

会社があるから起きなければならない、とか、そういった「神」以外のものと契約してルーティンを行うのは、イマイチかな、と。

それだったら、会社に間に合うように起きる時刻よりも1時間前に「神」と契約して起きたほうがよっぽどいいかな、と。


いいオトナが、起こされて起きる(起こされなければ、起きない)というのは、それはもっと問題だと思われますが。。


自分に勝つのが大事、自分に勝つのが難しい、と、いいますね。自分の意志で早起きしたり、苦行を自らに課したり、というのは、自分の弱さと闘っているようにみえて、実は、「自分」のさらに向こうにいる何か超越的な存在と、「約束」をしている(あるいは、しようとしている)ような気がします。

このあたり、まだうまくまとまりませんが。。

その「超越的な存在」を便宜的に「神」と呼んでいます。


ここでいう「自分」は単なるペルソナにすぎない、というか。。


「このままじゃダメだ」とか「がんばろう!」とか、自分に言い聞かせたりしているときに、その自分はおそらく意識的に「もうひとりの自分」だったりするわけですが、それこそが「神の化身」ということなんでしょうかね。

いや、それでは、自分の分身が神だと言っているような、誤解を招くので。。
「もうひとりの自分」はどこか超越的な「場所」とつながっているのだ、ということですね。まるでへそのおを介して母親とつながっている胎児のごとく。。