元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「ギア」に縛られる人生

こうありたいまたは反面教師

  • 「ギア」に縛られる人生

人生、「ギア」マターではホントにダメだと思うのです。

「ギア」とは、goo辞書で引くと
「 (1)歯車。また,歯車を組み合わせた装置。ギヤ。(2)装備。用具。道具一式。」
となっていますが僕は(2)のほうをいっています。

たとえば、クルマがない「から」旅行にいけない、休暇を楽しめない、とか。

クルマを使う旅行をしたい(我が家の趣味としたい!)から、だからクルマを買う、というのならばよいのです。

この前者と後者のアプローチの違いというのは、似ているようで実は大きな溝があります。

「ギア」に縛られる人生。。

「家」もギアだと思いますね。
こういうライフスタイルをしたいからこういう家がほしい、というアプローチであれば、よいのです。

でも、まず皆がローン組んで家を買ってるからウチも(買わなければいけない)、となってしまって、土地カンもないところに住み始めてさあそれから人生どうしようか、となる。

それこそ「カネをドブに捨てる」のと類似した行為だと思うのです。


ただし、(ここからが重要)
ギアの束縛を逃れればスケールの大きな人生を歩めるかといえばそれはまったくそうはなりませんん。

そのヒトの努力も必要ですし、そのヒトの「器」にも関わってくることです。

「ギア」というタガを外す(別に「ギア」でなくともいいのですが)だけでは何も起こりません。それどころか、高い確率で、ギアにしがみつく(言い換えれば「依存する」)ヒトたちと比べてスケールが小さくなってしまいます。

ギアにしがみつくヒトたちは良くも悪くもギアに引っ張られてゆくのです。自由と引き換えに。

ギアの束縛から逃れようとするのは結構ですが、そういう意志をもっているヒトの多くは「けっギアなんて」とハスに構えているだけです。

その状態では何も生まれません。
ギアというタガを外すと、「自由」を手に入れることができますが、多くの日本人は「自由を自由に」使いこなすことができません。

タガを外した後に、ギアにしがみついているヒトたちの何倍も努力しないといけない、ということに多くの「ハスに構えているヒトたち」は気づいていません。