ビンボー。。
ミチクサ(散歩、都市論etc)
- ビンボー。。
ムカシは、庶民が安い食べ物を志向すると、自然、ヘルシーな方向に向かったわけですが、最近は、安いイコール安全面を捨てよ、となる。
ムカシながらの食卓が贅沢などといわれてしまう昨今です。
それに対して、以前も書いたかもしれませんが、相当違和感があります。
なぜなら、庶民が思う「安い」をさらに突き抜けると、安いはまたヘルシーに戻ってゆく。
つまりそれは米中心の「自炊」です。
カップラーメンも吉野家も、自炊派からみたら「高い!」と。
カップラーメンばっかり食べている、という生活がビンボーの「象徴」としてよく取り上げられますが、そんな「ゼイタク」をするのだったらインスタントラーメン+もやしで生活してほしいものです。(そちらのほうがよっぽど安上がりです)
以前、ある雑誌のワーキングプア特集の見出しで「牛丼すら食べれないんだよ。。」といったようなのがあったと記憶していたのですが、ワーキングプアに対して強烈な違和感はあるにせよ、牛丼すら食べれない、というのは理解できます。「たまには外食したいなあ」と思ったときに350円の牛丼すら、食べられない。
僕が金銭的にどん底のときはとにかく米!米!米!
米にふりかけ、米に納豆、米に卵、米にしょうゆ(は、大げさですが)。。のひたすらローテーション。
(ただし朝は食パン!食パン!食パン!)
今の時代自称ビンボーな方でも「そこまではしない」となるのでしょう。
「そこまではしない」といえるヒトはビンボーではありません。
カネがない、ビンボーだ、と笑顔で言えるヒトたちはほとんどが安全圏からの物言いです。カネがないわりにはコンビニなどでだらだらとお菓子を買ったり、ペットボトルを買ったりできる不思議。
そして、月に10キロの米も買えない、4コパック¥100円の納豆、10コ150円の卵すらスーパーで買えないのであればそれは確かにリアル「ビンボー」といってていいかもしれませんね。(無用なツッコミ予防:田舎暮らしなどで、そういう主義の生活をしている方とか、農業していて食材を自給できるヒトはのぞきます)
僕は、そういうどん底の時代、自分が不幸だと考えたことは一度もないですし、今考えてもなんだか面白い時期でした。
それにしてもアメリカってどうなのでしょうね。。
アメリカの「ムカシながらの食卓」って何なのでしょうか。そしてそれはヘルシーなのでしょうか。
おそらく偏見なのでしょうがアメリカ人ははるかムカシからジャンクフード、のような気がしていますが。
再録
どうやら。。流行を追ってゆく人たちというのは元来、混雑する場所、時間帯に吸い寄せられてゆくらしいのです。これはもう、仕方のないことなのですね。
なぜ、わざわざ人の集まる場所に、しかも混んでいる時間に飛び込むのだろう、と思っていたのですが。。それは、「そうしたいから」という明確な意識があるわけでもなく、無意識下の行動なわけです。
夜の電灯に群がる蛾たち。。 失礼なたとえかもしれませんがぴったりです。蛾たちも、特に意識しているわけではないでしょう。
これはよく考えてみたら当たり前のことなのに、気付こうとしていませんでした。少し反省です。
人が集まるところにはビジネスチャンスはあるのは間違いないのですが、人が集まらないところそして、人が集まらない時間帯にもビジネスチャンスはあると思っているのですが。。
例えば朝の4時とか。(一日でもっとも中途半端な時間帯)
朝の4時に毎日、どこかにいって軽く何かをするだけでビジネスになる、とかそういうウマい話はないものでしょうか。。
何か、あるような気がするんですよね。とにかく最近は、朝というものが気になっていますので。