元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自分のココロに素直にならない

人生観、のような、思想の話

  • 【重要】自分のココロに素直にならない

去年、僕が接してきたたくさんの他人に対して強く強く思っていたことは、「なぜ、ココロを鍛えないのか?」「なぜ、『トラウマウェルカム』なのか?」ということ。
この時代、その姿勢は自殺行為である、と。
身体を鍛えるよりまずココロを鍛える時代だろう、ということに気付きました。

で、今年に入ってじわじわと感じているのは(去年もそうでしたが)「『自分のココロに素直になる』というのはゼッタイに間違っているに違いない」ということ。
自分の素直なキモチなんて、深層心理のさらに奥底に沈めてしまってゼンゼン問題ないのです。
「自分のココロに素直になる」というのは、ココロがハダカになっている状態ですね。ハダカのままで心理的な攻撃を受ければ、そりゃダメージを受けますよね。
そして、現代社会は、どこから心理的攻撃を受けるか、わからないのです。ココロは守られていないのですよカギのかかった部屋にいたって、パソコンをながめていたらブログのコメントで深く傷つくかもしれない。
だから、ココロをハダカにしている状態というのは、マゾでしょうと。単なる。
イジメられたいだけ。それが「トラウマウェルカム!」状態。

僕は、なぜそのような「トラウマウェルカム!」状態を他人が好むのか、全く、感覚的に理解できません。
ココロというのは、常にある程度ガードしておかなければならないのです。現代社会をストレスなく生き抜くためには。

再録

このキーワードも、寝かしておきたいというか。。

「苦労は買ってでもしろ」という言葉は好きです。「艱難汝を玉にす」という言葉は、ドラえもんを読んでいたのでかなり子供の頃から知っていました。

これらを、他人に説教してまわったら印象は悪そうですが、自分は常に自分に説教していたような気がするのです。

苦労は今のうちしておかなければならない、という強迫観念のようなものがあり。。

なぜこのような観念が植えつけられたのか。。 それを探るのがテーマなのでしょうが、「大器晩成」とリンクするのは間違いありません。

自分の人生の後半戦(にもう突入していますが)は苦労知らずで花開かなければならないわけです。そのために、年取ってからの苦労の分をすべて今経験しておきましょう、と。

苦労を「しなければならない」と思い続けているということはまだ「苦労している」域に達していないのかもしれません。

どこまでストレスがたまれば苦労と認定されるか、というのは、完全に私的な話なので私しかわからないことです。(そして、私「にも」わからない)

ですが、前半が苦労の時代、後半が花開く時代で、もう後半に入っているという認識があるのであれば、苦労は一旦総括しなければなりません。