元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「ほぼ滅私」

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 流行りを馬鹿にするヒトほど流行りに敏感(20080130)

抱負(2008)

  • 「ほぼ滅私」

去年、この日記で何度か、「滅私」について書いたと思います。(とっかかりはここ

自分は、ある時期から、家庭、プライベートにおいて「ほぼ滅私」しています。それ以来、家庭円満、とまではいきませんが、少なくとも波風は「それほど」立っていないように思えます。
まァ自己評価ですけども。。

となると、家庭がうまくいくためには滅私することが重要、ということになるかもしれませんが、コトはそうは短絡的にはいかないような気もします。

なぜなら、もしホントウにそうなのであれば、それはけっこうカナしい。

だから、今年前半は少しこのことについて考えてみようかな、と、思っています。

抱負(2008)書き出し済 ※1/31まで掲載

  • カネ関係
    • 貯蓄、投資の目標額を設定して、それを実現させる
    • 後悔しない支出をする
    • 近しい他人のためにカネを使う
    • 自身の健康のためにカネを使う
  • 健康関連
    • 晩酌の廃止
    • 脂っこいものを食べない、おなかいっぱいにならない
    • 「つきあい」飲みの(ほぼ)廃止
  • 基本方針
    • あえて損をとる

再録

「楽しく仕事をする」という考え方には常に違和感があります。なぜならば、自分は仕事(イコール労働)というのはそもそも楽しいものにはなりえない、という考え方を持っているからです。それは何回も書き出しています。これは自分なりに出した結論なので、しばらくは揺るがないと思います。

言い方を変えると、自分の時間を犠牲にして楽しくない作業に従事して、その対価としてお金をもらう、ということです。

楽しく仕事を、と考えるのは生活がかかっていない方が多いです。(すべてそうである、とは言いません)

自宅通いの独身の方とか、共稼ぎでどちらかがつぶれても暮らしてはゆける、とか、ひそかに数ヶ月暮らしてゆけるほどの貯金を持っている方とか。

必死に家族を支えていて、住宅ローンを払っている人はそのようなことはあまり言いません。

私も、たとえば他に不動産所得があってそれで生活は維持でき、労働は余剰資金確保のため、ということであれば、労働に対して「敵意」のようなものは持っていないと思います。嫌になったらすぐやめられる、という余裕が必要です。

「楽しく仕事を」という場合に空想するのは、おそらく上位レイヤに位置する、よくわからない横文字職業だと思います。「プランナー」「コンサルタント」といったものが代表的です。

あるいは洗練されたアーティスティックなものも含まれるでしょう。一昔前でいう「手に職」ですが、それが3Kの現場ではなく、なぜか洒落た空間で仕事をすることになっていたりします。

これらは、「ニュー・ホワイトカラー」といってもよいと思います。かつてホワイトカラーといえば主にマネジメント層、営業さんなどのいわゆる「サラリーマン」を指していましたが、その定義はもう意味がなくなってきています。

能力的に資格がないのにも関わらず人々がとりあえず大学に行くようになり、膨大に膨れ上がった大卒はとりあえず皆ホワイトカラーを目指し、その証としてリクルートスーツに身を包んで就職活動します。

そして膨大な数の人間がとりあえず「ネクタイをしめる」(これは、比喩です)ようになります。ですがこれは形だけであって、真のホワイトカラーではありません。

上述の、真のホワイトカラーおよび「ニュー・ホワイトカラー」をのぞく、「形だけのホワイトカラー」が増加しています

まず言いたいのは、完全にブルーカラーの仕事であっても、昨今、ネクタイをしている人がたくさんいて、その人たちが自覚的であればよいのですが、ネクタイをしているだけでホワイトカラーであると「思い込まされて」いるのであれば、かわいそうである、ということです。