元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

体調悪し

本来の日記部分

  • 体調

祝日ということで1日中ダウン。断続的に寝ていました。
昨晩痛飲したのも大いにダウンした理由ではあるのでしょうが。。とにかく、祝日というのは休みたい、という気持ちがあります。土日は土日のリズム、「課」がありますので。。

オーバーでなく朝から晩まで寝ていました。なんだかちょっとヤバいというか、「このまま自分は起きないのだろうか。。『あちらの世界』が呼んでいるのだろうか。。」などと縁起でもないことを考え始めたら起きることができました。

痛飲して、次の日を二日酔いでムダにするたびに、「もうやめよう」と思うのですが。。
今度こそやめたい。飲み会でも、ビール2杯ぐらい飲んだら次はウーロン茶に切り替えればいいのですが。。

「世代間」の話

  • 無気力

無気力を装っているのだけれど、内面ではほとばしる情熱。。ではなくて「欲望」を秘めている、というのが問題なのです。
それでは欲望は溜め込まれるばかりで、全く外部に発散してゆかない。

なぜならば、表面的に「無気力」であるがゆえに、行動が伴っていかないからです。欲望を実現させるためには行動が不可欠です。
ですが、無気力ポーズをとっていると、対外的に「行動」がしずらくなります。


逆に、欲望がないがゆえに、自然無気力になってくる、というのであれば、それはとても良いことだと思います。そういう生き方をもっと賞賛すべきでしょう。

人生観、のような、思想の話

  • ウサンクサい

世の中には、いたるところに「いいハナシ」が散らばっていて、そういうハナシを聞いているとほんわかした気分になったりします。

世の中のほとんどのヒトは実は善人ですから、善人が引き起こす「いいハナシ」はそこらじゅうにあるに決まっているのです。

たとえば私が道端で突然倒れたら、「大丈夫ですか?!」と駆け寄ってくれるヒトはたくさんいるでしょう。見知らぬ人間であっても「お互い様」と助け合ったりするでしょう。
自分もそういう「気概」はもっているつもりです。


ところが。。
そういう「いいハナシ」を集めて本にしたり、HowToになったりするととたんにウサンクサくなるのは、なぜなのでしょうか?

これは、結論が出ているわけではなくて、ホントの「自身に対する問題提起」で。。
これを考えてゆくのは大事なのではないかと思っています。