元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

R25 中田英寿インタビュー

抜粋・紹介

(略)「甘えないかどうかっていうと、“人生”…っていうと話は大きくなるけど、結局は自分との戦いじゃないですか。一度自分に甘えたらズーッと甘え続ける。自分をよりよくしていくため、自分の生活をよりよくするため、楽しむためにはどうすればいいかというと、いかに厳しい状況に自分を置き続けることができるかだと思うんです。そうすると少しのことでも楽しく感じる。少し厳しいことがあっても厳しく感じない。自分のなかでのそうした基準を、つねに高いところに置いておかないと、どんどん落ちていっちゃう」
圧倒的に自身の価値観に自信を持っている…いや、疑問すら差し挟む余地はないのだ。
「僕が悪いと思うのは、他人に迷惑をかけること。だから、自分のなかですべて収まりのつくものに関しては、他人に迷惑をかけなければ何をやってもいいと思ってるんです。あとは自分のなかでの、“何がよくて何がよくないか”っていう判断。誰かが“よくない”って言うことをやらないのがいいことじゃない。自分が好きでやってたり、自分が楽しいと思ってやってることのなかで、周りの人に悪く影響することがあるだなんて考えたこともありません。それを考える時点で自分は間違った人間じゃないかって気がする。自分が『正しい』と思ってやることで人に迷惑かかるなんておかしいでしょ?」
しかし実際には、自分の思う“正しさ”が本当に正しいのかどうか。自分のなかの基準に対する自信なんてなかなか持てないものだ。そう言うと、中田英寿はとても不思議そうな顔をした。
「それは自信が持てないっていうことじゃないと思う。他人基準にしたほうが楽だっていうだけの話ですよ。他人の基準で判断すると、自分で責任を持たなくていいから。自分の基準っていうのは自分のなかで責任感を持ってやることです。だからこそ自信を持ってなきゃダメだし、自信を持ってない人には自分基準もないだろうし」
こんなことを気負わずに、当たり前に言うからとても強く見えるのだ。
「僕には当たり前のことなんです。自分の行動には責任が伴うもので、自分が食べた分は自分が払う。ね、あたりまえじゃないですか? 何かを食べて病気になるとか痛風になるのは、自分のせいじゃないですか。誰の責任でもない。自分の行動には自分がすべて責任を持ってやるというだけですよ」
(抜粋・紹介おわり)
いいですね。。とにかく、良いです。この「考え方」は。これが21世紀の考え方です。(たぶん)
「自分の生活をよりよくするため、楽しむためにはどうすればいいかというと、いかに厳しい状況に自分を置き続けることができるかだ」、という、一見矛盾しているような考え方を、真に理解できるかどうか、です。