元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

これは被害妄想ではない

本来の日記部分

今日は氷川神社の縁日で盆踊り。痛飲。
酔いと盆踊りでトランス状態へ。

自分について

  • 怒り

泉のようにいろいろな「思考」が湧いてきていたのに、「怒り」によりぴたっと止んでしまいました。
100%外的要因による怒りの発生。。 これこそ「修行」でしょうか。

つまり、私が、良き人生を送ろう、具体的には早寝早起きとか。。そういうことをすること自体が「出る杭」になるような。。 そんな気がしてならないですね。そして、善行も「悪いウワサ」として広まってゆく。。「あのヒト、変」と。

ということは、良き人生を送ろうと考えること自体が「個性」であり、それだけで外部からの「攻撃」ライクなものを受けるのだとすればそれは「体制への反抗」になっているということなのだろうか?

今の日本人は、皆体制側。笑ってしまうぐらい見事に。
そんな世の中はキモチワルくて吐き気がします。

これは現実です。私の被害妄想ではないのです。

そして「体制側」とは、「良き人生を送ろう」などとは微塵も考えていない。現「体制」は「楽しければそれでよい」。

これはもしかして。。フジテレビのプロパガンダの完成形?
他のキー局も結局フジテレビに追随しているし。。(NHKすらも)

そんな「体制」に、引きずりおろされたくはない。「楽しければそれでよい」という考えは、現在自分がもっとも軽蔑すべき考え方です。そっち方面に飲み込まれてしまったら、もう自分の人生終わってしまう、とまで考えてよいと思います。
でも、世の中の大部分の人間は、それでよいと考えている。。ということは、そういうヒトたちの人生は終わっている。
「終わっている」というのは、ある意味レールに乗っているということです。無限に「楽で楽しい」を追求するというレール。。皆でその列車(パンパンの満員)に乗っているのです。
その光景は、ぞっとしますね。

満員だから、個性など生まれるはずもない。個性を追求する人間が現れたら、排除される。つまり、その列車からは降りなければならない。
排除された、つまり降ろされたヒトは、そこから降りるということがどれほど素晴らしいことか、を理解するまで時間がかかります。
皆が同じルートに向かって進んでいるのですから、その「路線」は、常に大混雑なのです。まず、別ルートを進まなければならなくなってしまったヒトは、「ラッシュ」からは解放され、のびのびできます。

ですが最初は、その「のびのびできる」恩恵がわからず、皆と同じ方向へ進めないという恐怖感のほうが先に立つ。(だったら最初から、個性など追求せずに、その満員電車に乗り続けていればいいのに。。)



それにしてもこの怒りの感情をコントロールできないと次のステージにいけないのですが。。 なぜ。私の怒りを誘発する事象が、ゼビウスの雑魚敵キャラのように、撃っても撃ってもやってくるんでしょうかね。
しつこいですね。

思考回路が、怒りへの対処にほぼ100%リソースを割いてしまうと、なんだかそちら方面では「揉まれる」ような気はしますが、必ずしも有益ではないように思います。

どうやったら「出過ぎる杭は打たれない」状態までもってゆけるか?
それをマジメに考えませんと。。