自己分析と自分探しは違う ドラゴン桜 などなど
本来の日記部分
- 仕事
「週を終わらせる」のに必死という感じですね。。
そして、週末のビールのために。
人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師
- いつもの「マスコミによる洗脳完了しているヒトたち」についてのハナシ
マスコミに洗脳されるヒトたちは、そういえば、自ら喜んで洗脳されているのでした。
「もう俺(あるいは「私」)の行動を既定してくれ」とまで内心思っているんですよね。。
本人は、自分が、意思決定ができない人間だとはこれっぽっちも考えていないのです。最終的には自分が決断しているのだけれど、そこに至るまでの過程で100%マスコミに操作されていることに気付いていない。
いや、ムカシは気付いてすらいないヒトが多かったのですが、最近はうすうす感づいているヒトのほうが多いかもしれません。感づいていても、ラクだからそのまま流されてしまっているのです。
企業が宣伝を打てば狂喜して行列し、まんまとカネを使う。
戦前も、マスコミの「ニッポン連戦連勝」に大衆は喜んで洗脳されていたわけです。
「マスコミによる洗脳完了されてるヒトたち」は自分にとってはあまりにも強固な存在なのです。まず、絶対数が違いすぎます。
- いつもの「続けることは大事」のハナシ
「続けること」は強い意志が必要で、そこでヒトを選別します。「続けること」ができるヒトか、できないヒトか、という選別。
「続けることができるヒト」は選ばれたヒトであり、選ばれたヒトは、嫉妬羨望からくる「迫害」(?)に耐えなければならないこともあります。
なぜか、ある意味世の中がほうっておいてくれない。なぜなら、まさに「継続は力なり」で、続けることにより「成果」が突出してくるからです。
続けないヒトたちとの差が「あまりにも」大きくなってくるから、目立つわけです。
自分について
- 自己分析と自分探しは違う
「自己分析と自分探しは違う」というパンチラインをひらめいたときに、これはもしかしたら自分のmy座右の銘ベスト3に入ってくるかなあ、と、思いましたね。
自分がこの日記なり、メルマガなりで書き出している行為は究極の自己分析であると自負しています。
そして、確固たる自分はもうここに「いる」ので、自分探しをする必要はありません。
ムカシからここにいる。
「自分探し」という、違和感ばりばりのキーワードについての反論を、2月1日の日記で、「寝かせておく」と書いているのですが、約4ヶ月経過してやっと熟成して表出してきた、という感じでしょうか。
「やっと出た!」という状態になるまで、4ヶ月ぐらい必要なんですね。
抜粋・紹介
「鈴木先生」読み始めました。
- 作者: 武富健治
- 出版社/メーカー: 双葉社
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一日一章という感じ。
私の中でまず、思いついたコトバは、「問題作」。
勝手にそう思っているだけですが。。
それとこの「絵」は。ムカシどこかで見たような絵です。
- ドラゴン桜 2巻
- 作者: 三田紀房
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/01/22
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”カタ”がなくてお前に何ができるっていうんだ 素のままの自分からオリジナルが生み出せると思ったら大間違いだ! 創造するってことはまず真似ることから始まるんだ! ”カタ”にはめるな!なんてホザくやつはただのグータラの怠け者だ!
(レビューの抜粋おわり)
これは、作者の叫びなんでしょうね。。 「カタにはまりたくない」と訴えるくせに何のオリジナリティも出せないヒトたちと接する中で、相当の苦労をされたのかもしれません。
とてもよくわかります。
たとえばプロのスポーツ選手も、その才能の土台になっているのは、身体が貪欲に技能を吸収できる時期におぼえた、基礎の繰り返しです。つまり、ここでいう「カタ」です。
そして、やがてプロとなり、プロの視線で自らの技能を見つめなおす中で、また「カタ」の確認に戻ってゆくんですよ。
世の中には、すごく稀に「カタ」にはめられるべきでないヒトも存在します。でもそれはアナタでもないし私でもありません。
- うるまでるび ボテ志の物語
連載終わっちゃうんですねえ。。 いつかは終わるんですねえ。
漫画はタイムラグがあるから、実際はもう小学校に通ってるんですね。とにかく、感無量です。
最近は見ていなかったのですが、もうすぐ終わると聞いて見るのを再開する不届きモノですね。