元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

予定を守ることによる達成感 「それ、明日でもいいんでしょ?」

本来の日記部分

  • 体調

熱は確かに下がってきています。鼻水が粘性になってきてこれがヒドい。

先日より生まれて初めて「歯間ブラシ」を始めました。そのブラシは歯医者さんにもらったもので、予備がないので今日、まとめ買いをしました。ペーストもいっしょに買いました。

  • 仕事

居るだけで軽いストレスを感じるようになってきました。ヤバいなあ。。
仕事の負荷が高いゆえに感じるストレスとは全く別のものなので。。

とりあえず、現場の不満を誰かにぶちまけないといけませんね。「それは確かに正論ですが。。」といわれるようなやつです。


自分について

  • 予定を守ることによる達成感(【重要】マーク)

半ば「頑な」に予定を守り、予定通りに一日が終わること(「積み残し」がないこと)によって達成感を得る。最近の自分はこれを日常の楽しみとしているフシがあります。
逆に考えると、何かしら積み残しがあると、(「バナナ買うの忘れた!」とか、そういうレベルですが。。)1日の終わりに何か不愉快な感じが残ります。ですので、予定を守るということは、1日の終わりに不愉快感を残さないための自己防衛手段であるともいえます。

が、これについて、何を差しおいても自分の予定を守ろうとすることに対しての批判があります。つまり、「彼ら」から言わせれば「柔軟性がない」ということです。予定外のイベントを受け入れないというのが、余裕がないと見えるのか、ヒトとしての器が小さいと見えるのか、まあ、いろいろな意見があるでしょうが。。
「偏執狂」に近い見方までされることもありますね。

個人的には、「柔軟性」というコトバ自体キライになりつつあります。
世の中に流布している「柔軟性」というのはほとんど、間違っているからです。それは、モノゴトを自分の都合のいいように解釈する、ということです。

「予定」というのは、おおよそですが、外部に公開しているものです。「外部に公開」というのは大げさかもしれませんが、雑談でしゃべっていたりとかそういうレベルでもよいです。この日は何をする、ということをすでに宣言しているのに、それに対して、急遽何かしらの予定を入れてくるヒトたちがいますね。あたかも、急に入ってくる予定のほうが優先されるべきだ、みたいな顔をして。。
そんなとき自分は、その直前ですでに決まっていることを優先させたい、と考えます。そこで、その急な予定に「迎合」することは「柔軟性」などではないはずです。
予定というのは本来、早いもの勝ちというか、先に入ったものから優先されるべきです。その「正論」を貫きとおして何が悪いのか、ということ。

そもそも、その考え方に対して「カタい」とか言われるんでしょうね。。
でも昨今の日本人に足りなくなってきているところでしょう。そういう「頑なに固辞する」とか、そういう意志表示をするというのは。

  • 「それ、明日でもいいんでしょ?」

ちょっと、上と関係するのですが。。
最近、瞬間湯沸かし器ぐらいの上昇度で一瞬、腹立たしくなる瞬間があります。
それは、「それ、明日でもいいんでしょ?」といわれるときです。職場でもプライベートでも。

上司なり知人なりに突然「これ、やっといてよ」といわれて、今別なことをやってるから、あるいは、これから別なことに着手するから、できない、と、できうるかぎり丁重にお断りするときなどに、その「それ、明日でもいいんでしょ?」というコトバが発せられます。

自分がやっている(あるいは、これから着手する)「それ」の優先度はアナタに決めてもらいたくはないのです。私が一定の根拠をもって、そのときその瞬間にやろうとしていることなのです。

急ぎでやってもらいたいことというのは単なるアナタの都合で、それは私は知ったことではないのです。あなたが押し付けようとしていることこそ、明日やればいいじゃないですか。

この「それ、明日でもいいんでしょ?」には、ホントに怒っています。
でも、何か「やっといて」といわれたときは、空いているときはやりますし、空いていなそうでも、できうる限りやろうとはするのです。「できない」とお断りするときはホントにできないときなのです。

ヒトに何かお願いするとき、上っ面の敬語だけは使うけれど、ウラは超無礼、ということが最近多いです。
最初から、「○○お願いしたいんだけど、いつまでならできる?」と相談してくれればいいのに。。 それが普通だと思いませんか。