元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

イベント性 の消滅 読了 仕事は「気の合う仲間」とやるのがいい

本来の日記部分

  • 体調

熱は下がりつつあるような気がします。一時的なものかもしれませんが。。
なんとなく、ここ数日よりも体調が晴れ晴れとしているような気がするのです。
粘性の鼻水は残る。

休日ですし、自分を、強制電源offしましたので。。
それは、自分にとってゼッタイに必要だからそうしているのに、なぜ、それに対して反対意見を表面するのでしょうね。明日の社会貢献(労働、納税)のために私は電源offしているのです。そして、結果は残しているのですよ。年中電源offしているヒトたちとは違うのです。

おっと、だいぶ怒りぎみ。。

会社シリーズ

  • 仕事は「気の合う仲間」とやるのがいちばんでは?

と、最近思いますね。。 ホンキで。

就職したり、現場に入ったりすると、98%以上「気の合う仲間」はいません。こういう状況下で「仕事」をすること自体が異常事態なのではないかと。。
つまり、本来の「仕事」であるべき「業務」「作業」ではなくて、まずはコミュニケーションを図ることが大事な仕事になってくるわけです。これが、本末転倒というか。。

そして、取引先や競合他社など、会社が異なってくると、単に「気が合わない」どころの話ではなくて、憎悪や嫌悪の感情で自分に向かってくる人間も出てきます。カネが絡んでくるからです。利害を一にしない他者の人間との関係は、「闘い」といっても過言ではないでしょう。

「考えが甘い」とか「それが仕事じゃないか」という反論が予想されますが、その仕事観自体に「押し付け」を感じるようになってきているのです。

たとえば、他社に迷惑をかけるぐらいのミスをしたとして、それが「仕事だから」といって、得意先に土下座する必要はあるのか?(「宮本から君へ」のワンシーン)
そんな(社員に土下座をさせる)会社、即退職すべきだと思うのですが。
これは、極端な例ですが。。


考え方を変えれば、関係性の維持、あるいはカイゼンをできるコミュニケーションがとれる(プラス、多少の業務専門性)という要素がひとつの「職能」になってきているということです。

その関係性が、複雑すぎるというか。。
コミュニケーションという点でいえば、直接商売、モノを客に売るという関係におけるコミュニケーションは非常に大事だと思いますし、お客様にモノを買っていただくためのコミュニケーションは必須です。そこは、全くひっかからないのですが。。

会社において上司とソリをあわせるとか同僚のグチを聞くとか他部署におべっかを使うとか、そういう間接的な関係性の維持、カイゼンをできる能力を「コミュニケーションスキル」という名で持ち上げることには相当の違和感があります。

と、いうことは、自己分析するに、もっと直接的な「商売」をしたい、ということなのでしょうか。
それと、同族企業って実は、けっこう理にかなっているような気がしてきましたね。ヘタな他人を採用するよりも親戚のほうがよっぽど内部のコミュニケーションをとりやすいのではないか、と。

自分について

  • イベント性(【重要】マーク)

イベント性のある週間とか期間とか、最近ホントに苦痛に感じているのです。これはマズいなあ、と感じているのですが。。 ここまで頑なだと。

例をあげれば、クリスマスやバレンタインデー、正月、花見シーズン、お盆、祭りなどなど。。
そのような、国民全体、あるいは地域全体がそっちに引っ張られる磁場がはたらくときは、自分の少なからずそこに引きずりこまれそうにはなるので、それに抵抗する労力が非常にムダというかアホらしいというか。。

じゃあ一緒になって楽しめばいーじゃない、という話も聞きました。でも、自分の内面に耳をすませた結果として、そういった「イベント週間」に自分も身をゆだねる、あるいは迎合するのは好きではない、という結論は出ていますので、それはそれで貫き通さねばまた自分のストレスの種が増えてしまうわけです。

自分はホントに、全くイベント性のない普通のときが好きですね。

抜粋・紹介

読了、図書館に返却。

この本を読んでしみじみと実感したのは、最近の教育では「『個性を伸ばす』というカタ』にコドモをはめているのだなあ、と。。
そういう時代には旧来の「カタにはめる」教育が「個性を伸ばす」ことになる、と。なんだかよくわからなくなってきますが。

ところで、この本の最後のほうでついに、我々世代への言及がきたか、という感じですね。。 今までは若者への言及ばかりでしたが。。
「我々世代」っていうのははっきりいいますが、「給食費を払わない親の世代」ですからね。今後もずっとこういうカテゴライズをされてしまうと思うと、げんなりしますし、同世代のそういう人たちに軽蔑に近い感情を持ってしまったりしますが。
給食費の滞納って最初は軽い気持ちで始めてると思うんですよね。「ちょっと忘れた」とか。ちょっと「忘れてみた」ところ、それをとがめられずにスルーされたからずるずると何ヶ月も、そして、周りを見渡すと堂々と滞納している家庭もあるし。。と。それを最初にとがめられなかったというのは、単に無視されただけかもしれないのに。極端なほど「周りを見渡してしまう」最初の世代なんでしょうね、我々は。周りの動向をみながらハンパな個性を主張してゆくという。。
ああ、自虐的だ。。 自分はこうではないのに。もう自分は、気付きましたよ、って感じなんですよ。