元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

計画のよさ

本来の日記部分

昼、溜池山王にて会食。店選択に失敗。妥協したのでいたし方なしといったところでしょう。

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抜粋・紹介

(感想)
「ゆとりの教育」とやらで国語教育を軽視するとこういう人間が生まれる、という典型的な例ではないでしょうかね。しかも、もう大量に生産されてしまっているのです。こういう人たちが今後の日本の中心となってゆくんですよ。

自分について

  • 計画のよさ

計画を立てるクセをつけると、生活がシンプルになってゆくような気がします。
なぜならば、まず、計画をたてるというのは非常に頭を使うからです。いきあたりばったりに過ごすよりも。物事を道筋立てて論理的に考える訓練になります。
それと、計画に対する結果として、行動がシンプルになります。ムダな動きがなくなってくるということです。
ムダな動きが減ると、ストレスも減ってゆきます。「なんでこうなるかなぁ」的な後悔が少なくなるからです。

いいことだらけなのですが、そもそも計画的に物事を進める、あるいは、計画を考えること自体にアレルギーがあるとダメでしょうね。「やらされてる感」が支配しているうちは。
でもそれは、変えられます。ひとつ結果を出してしまうといいのですが。。計画を立てたからこそ、コトがうまく運んだ、という。それが続くと、もう計画を立てること自体がやめられなくなり、好循環になってゆきます。

なぜ、「なりゆきまかせ、風まかせ」が逆に賞賛されるのか、いまだにわかりません。過去の60年代〜80年代はそれでも通用したからでしょうか? 
たとえば、サラリーマンのような生活がイヤで喫茶店を始めました、みたいな典型的な方がいたとして、店舗選択や月々の売上げ計算などはゼッタイに「なりゆきまかせ、風まかせ」ではやってないと思うんですけどね。ポリシーを変えていない人は99.9%ツブれていってるでしょう。
「なりゆきまかせ、風まかせ」でもツブれていかない人は、前にも似たようなことを書きましたが、「選ばれた人」なのです。そういう人は存在するのです。でも、「私」はそもそも「選ばれた人」ではない。
「選ばれた人」は、状況と、他人が、助けてくれるのです。

それとも、「なりゆきまかせ、風まかせ」が根源的な人間の生き方なのでしょうか? でもそれはきわめて原始的ですよね。進化した人間は、そっちのほうに戻ってゆかなくともよいのでは、と考えます。

計画がイヤだったら「プランニング」とでもおきかえればいいのです。現代人は横文字には弱いのですから。

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