元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

旅行VS散歩の総括 リアクション体質(会社)

本来の日記部分

  • 体調

ちょっと眠いかな、と感じるのでどこまでまとめ寝をする必要がありそう。



  • カレンダー(予定の記入というよりはほぼ日記)はこちら

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会社シリーズ

  • リアクション体質

会社というのは、コンシューマからみると主体的な存在ではありません。あくまでリアクション中心。クレームとか、何かしらの手段でつつけば、「いやあ申し訳ございません。。」と営業が言い訳を用意してやってきます。いや、エンドユーザのところにはわざわざやってくることはないですかね。

会社そのものはそういったリアクション体質なのに、社員とか、現場で働く外注などには主体性を要求します。「受け身になるな」と。会社自体受け身のくせに。
これは、なぜなんでしょう。誰か私にわかりやすく教えてほしいですね。

設備投資とかには積極的主体的に動くのに、給料は要求されるまで上げない、とか。コンシューマの意見には敏感なのに(ポーズかもしれませんが)内部の要求は何度も稟議が上がってきても無視する、とか。
そういう擬人法の動きを、自社の社員がそれにならって行動したら、上司は怒るのではないでしょうか。

これが、会社の不祥事にも関連してくると思うのです。会社という存在がワルさをしているのに当の社員たちは気付かない。性格が乖離している、というか。。
会社のワルさというのはある種積極的主体的な動きなわけです。社員がワルさ(横領とか)したら社長は怒るでしょう。でも会社は悪い。

ああ、不思議。。 集団になってかつ金が絡むとなぜ変わるのか。

活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

  • 旅行VS散歩

きましたね、このテーマ。自分のライフワークかもしれません。「旅行」というものとまだうまく付き合えていないのです。


結局自分は「旅行」というものに対して相当な敵対心を持っているようです。それは、「散歩者」の矜持として、だと考えます。
趣味、という観点で考えると、「旅行」のほうが「散歩」よりはわかりやすいようです。ですがわかりやすいからといってレベルが上ということはないでしょう。
日陰者である(?)「散歩者」の地位向上、というのが自分のミッションなんでしょうね。(【重要】マーク)


自分は、生活から「散歩」(これを「活動」と呼んでいますが)がなくなったら、と考えると「生きてゆけない」に近いものがあります。ですが、散歩はカンタンなので、頻度高くできます。極端にいえば、家から一歩外にでればいいのです。散歩という行為が自分の生活からなくなるということは、現在は(健康を害さなければ)あり得ません
ですので、今は精神の均衡を保つことができています。

自分と同じような感じで、「旅行」に代表される別な趣味がなければ「生きてゆけない」に近い人たちを知っていますし、それを否定するものではありません。そういうものはあっていいし、素晴らしいものです。

ですが、似たようなことを何度でも書きますが、
なかなか頻繁にできないことを趣味にしている人は、ストレスがたまります。ガス抜きもできません。私は、「散歩」というカンタンにできることを「趣味」と位置づけているので、ストレスがたまりません。
それだけではないですか。カンタンにできることを趣味にすればよいではないですか。なかなか頻繁にできない「趣味」のほうが高尚ですか? 他人受けがよいのですか?

その「○○をやらなければ生きてゆけない」という「○○」(パラメータ)は取替え可能なんですよ。つまり、生来のものではないということです。それをわかっていない人が多すぎます。

「○○をやらなければ生きてゆけない」(恋愛でいえば「あなたがいなければ生きてゆけない!」状態)というのは、ほとんどの場合トレンドに左右されるものです。なぜならば、ほとんどの「○○」は、レイヤが上の趣味、嗜好品の類に該当するものだからです。
「空気がなければ生きてゆけない」なんて、ため息つきながら人に言わないでしょう。


自分は、考えに考え抜いた結果として、「通勤ラッシュを毎日続けていたら『生きてゆけない』」というのと「(都心の)散歩は自分のライフワークとなりうる」(生きてゆけない、に近い)というふたつの、自分の内なる思いを感じ取って、借金こさえてまで都心に越してきたわけです。
これは、ホンキなんです。生半可なキモチではないのです。

だから常に快適に近い心持でいられます。イヤなことがあっても、都心に住んでいる(すぐ散歩に出れる、通勤ラッシュがない)ということでリセットできます。特に、30代を過ぎてからはいろいろな「無礼な人たち」からのイヤな攻撃を受けることが多々あるので、なおさらです。
これは、自分が起こしたアクションの結果として得た「青果物」です。所与のものではなくて「取りにいった」ものなんですよ。

年に1回、あるいは数年に1回しか旅行に行けない、だからストレスがたまる、生活がつまらない、なんていうグチは各自の勝手ですが、自分はその場で(あるいは、近所で)ガス抜きを出来る場所に意図的に毎日暮らしています。
それに対して嫉妬羨望のキモチをもたないでほしいんですよね。いや、持ってもかまいませんが、ほおっておいてください。そのキモチは自分が変わらないとどうにもなりませんよ。旅行が好きなのであれば月に一度の小旅行を繰り返せばいいじゃないですか。それがイヤなら旅行という趣味自体を替えればいいじゃないですか。どうせ人は趣味すらもトレンドに流されるのだから。。


でも自分は旅が趣味だった時期もあったのですよ。。 いつの間にか面倒になってしまって。でも、スキーに行かなくなった人たちも「面倒になって」というのは同じでしょう。