元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

【備忘】データ失った 二面性への憧れ(3) 器の見極め

トピック

  • データ

せっかく快調に日記を書いていたのに、データをロストしてしまいました。あいたたたた。。
またOAストレス。。 実は腸煮えくり返っています。
以下に、記憶の範囲で思い出して書きます。

  • 余裕の節約

自分が望んでいるのは。。せっぱつまって、生活費を捻出するための節約、切り詰めではなく「余裕の節約」である、ということです。

「余裕の節約」であれば、たとえボロを身にまとっていても、他人の目を気にすることなく、精神的には安定していられます。

この境地に達するまで、ン十年かかっています。
(【重要】マーク)

今、嗜好品の飲食を減らすよう努力していますが、これも「余裕の節約」の一環といえるかもしれません。

嗜好品の飲食を減らせば節約となり、身体も健康となり、余裕資金もたまり、精神的にも安定し。。と、好循環してゆきます。

この話はちょっと寝かせておいて、また後日書き出ししましょう。





自分について

  • 二面性への憧れ(3)

二面性については、一旦まとめて、終わりにします。また何か発生したら、書きます。

昼間の、「ホントはこんなはずじゃない」という自分がいて、それに対比するかたちでの、別な顔である「夜の自分」がいる、という考えかたは、捨てましょう、と。

まず、昼間の自分は、「ホントはこんなはずじゃない」というのはやめて、昼間の自分は、未完ではあるにせよ、「なかなか捨てたもんじゃない」まで引き上げなければなりません。

昼間の自分を否定してしまうと、私が強烈な違和感を持っているいわゆる「自分探し」とリンクしてしまいます。

ということは、昼間の自分に満足できている、という前提さえあれば、「夜の自分」に憧れてもよいのかもしれません。なぜならばそれは「逃げ」ではないからです。

夜、夜と書いてしまいましたが、自分が現在求めている二面性とは、それなりに満足している「昼の顔」プラス「朝」でしょう、ということです。
「朝」というのは一種の比喩ですが、現在の自分の方向性は、朝(そして早寝)に向いています。「朝」というのは「健康」の比喩かもしれません。


先日、「マジメにフマジメなことをやる二面性」と書いてみましたが、この書き出しに対する次のひらめきはないですね。。 これは持ち越しでしょうか。持ち越しというよりは、新たなトピックかもしれません。

それと、「小物であることの自覚と諦め、および反論(偽「大物」への)」->事務方以外がすべて大物予備軍であるはずはない。
という件について、もうすこし突っ込めるような気がするのですが。。

事務方というのは、確かに「小物」であるかもしれず、一生表舞台に立つことはない、のかもしれません、が、事務方が嫌だ、と事務方から脱出(本当は「脱落」ですが)した人が、そのまますべて大物(「表舞台」に立てる)になれるはずもなく。。
今書いたとおりで、自分の器を見極めて事務方から「脱出」した人は大化けするかもしれませんが、器が足りずに「脱落」した人は大化けするはずもありません。そしてほとんどの人は「脱落」したのに自分は「脱出」したと思い込んでいる。。

この話は自分にとっては重要ですが、「二面性」というトピックからは少し離れました。