元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

充電期間

自分について

  • 過去ログ

・文武両道の是非->偏差値60の呪縛
・中学の頃がもっとも「不安」がなかった
・属する集団の重要性->たまり場について->「受け手」「仲間」について
・ムーブメントに乗るということ
・自分には「感性」はあるか->横文字職業に対する違和感



  • 充電期間

自分は、たとえば町田康さんのように、数年間図書館に通い続けて年収20万で生きてゆくとか、その間に本を読み漁るとか、そういう生活をする「度胸」はありません。(バイトの時期であっても「月収」20万ぐらいはあった)
そういった「充電期間」は欲しいとは思うのですが、問題は、その期間で果たして何を吸収すればよいのか、という迷いがあるということです。

まあ、この日記を書き始めたころも「充電期間」であったといえなくはないですが。。

そういう、社会的に逸脱した生活は自分にはできそうにないので、「ふつう」の範囲内で自分はまた別な道を見つけてゆくしかないのだろう、と思います。

なんだかんだで「仕事」というリズムがないと迷いが生じてしまう。。
これもまた「お金」の話に着地する。。 仕事のリズムがなくとも、金銭的に暮らしてゆけるのであれば迷いは生じないかもしれないですね。
ただ、仕事をせずにヒマになってしまったとして、その期間を一生懸命生きれるかというと、その自信はないわけです。「充電期間」であればいつかは放電しなければならないわけで。。

金の不安に苛まれながらヒマな時間を過ごす、というのはもうこりごりです。



  • 「なんかやろうよ!」

という言葉を待っているくせに、仲間を欲しているくせに、それを「仕掛け」であると斜に構えてしまっている自分がいます。「仲間」という概念そのものに胡散臭さを感じていたり。。

この話は、難しいな。。