元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

緊張 マネージメント層の質の低下(会社シリーズ)

【トピック】
明日から本格的に仕事再開ということで、これでも緊張しています。しばらくフリーターに近い生活だっただけに。。
景気付けに、久々にビールを飲みました。
それと、この仕事の報酬が入り始めるまでの生活費を考えると憂鬱ではあります。
【外食】
[昼]
新宿ルミネの、それなりに多店舗展開しているお洒落めの中華料理屋さんでランチ。
【雑感】
[マネージメント層の質の低下]
憂鬱といえば、ある意味幸せともいえる「高齢フリーター生活」が終わり、また本格的にストレスの嵐の中での生活が始まると思うと、それも相当な憂鬱です。ストレスの嵐に飛び込んでゆかなければ生活を維持できないので。。
最近間違った言説がまかりとおっているようですが、現場というのは自分ひとり(下層の人間)では絶対に状況を変えられないものです。「自分で切り拓いていこう」的な、やたらに自助努力をあおる本などがありますが、サラリーマンをあおって生活を息苦しくさせてどうしようというのでしょう。
現代社会においては、組織の中で悩みを抱えているサラリーマンは、陰湿にいじめられている子と同じぐらい支援が必要なのです。悩めるサラリーマンも、いじめられている子も、それぞれが自分のキャパシティを超えるぐらいのストレスを溜め、また、それが毎日増長されてゆくのです。そもそも、なぜそのような全く無用な経験をする(させる)必要があるのでしょう。自分はサラリーマンではありませんが。。
とあるヒップホップ系のアーティストが、こういう状況に対して「逃げちゃえ逃げちゃえ!」という発言をしていましたが、100%同意します。自分のできる範囲での自助努力でどうしようもなかったら逃げればよいだけの話です。
企業組織を深刻な問題が巣食っている状況の責任は末端のサラリーマンではなく、マネージメント層にあります。日本のビジネスシーンのそもそもの問題は、マネージメント層の絶対的な質の低下にあります。その理由は、仕事が魅力的でなく、優秀な人材が集まらないためです。
元来、マネージメント層の仕事というのは、面白くはないものです。今までは、企業側がそのネガティブな部分を「やりがい」というポジティブイメージで隠し通したり、それなりのインセンティブを与えてごまかしたりしていましたが、最近はもうどうしようもなくなってきています。簡単な例を挙げれば、マネージメント層への投入を望まれる優秀な人材が、先進的な企業に流出することをとめられず、旧来の慣習で抱え込むことができなくなってきています。そうすると残存戦力の「それなりの」人材からチョイスせざるを得ません。
このように書いてきて、教師の質の問題と底通するものがあるような気がしてきました。教師の過酷な労働が浮き彫りになってきて、「やりがい」「聖職」という言葉も色あせ、教職に優秀な人材が集まらなくなってきているようです。それにより教育の質も当然のように低下しています。
また、関連することを先日書きましたが、マネージメント層の仕事というのは、その下の世代のマネージメント「される」側の質的低下により、ますます過酷になってきています。下の世代が、人間的、能力的に劣るということではありません。昨今のゆとり教育等で、マネージメント「される」修練が、子供の頃からすっぽりと抜け落ちてしまっているのです。また、マネージメント「される」修練は、マネージメント層の育成における基礎スキルにもなってきますので、これが抜け落ちているということはマネージメント層養成にも多大な影響を及ぼしているということになります。
これも先日書きましたが、何度でも繰り返しますが、日本の、一部の先進的な企業をのぞいては、既存の企業組織はもうおかしくなりつつある(世の中の変化に対応できていない)のです。先進的でない企業のトップ層は、それに気付かないからこそ先進的でないともいえます。

なんだか連日、会社組織の問題、不満についてばかり書き連ねているような気がしますが。。考えが浮かんでくる限りは続けてみることにします。