元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

パパ主導育児のためにはパパの職場が近いことが絶対条件。

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2016

俺の相当なるのべ時間の育児体験からいわせてもらうとパパ主導育児のためにはパパの職場が近いことが絶対条件。時間がかからない、ではないんだ。物理的距離だよ。電車でたった10分っつっても快速だったら軽く10kmだったりするじゃん。じゃなくて職場が育児コミュニティの中か周辺ってこと。
03-28 09:16

家族がすべて生活するコミュニティの中、あるいは周辺で一日が完結する。まあたまには出てってもいいけどね。子どもが、たとえば電車で遠くの学校に通うのはかまわないよ逆に。そして、パパが近くで働きママは遠くで働くってのが逆の意味で理想かも。だってママはパパにまかしちゃえるもんねえ。
03-28 09:19

手間をかけるんだよ。

stevengerrard.hatenablog.com

成功の法則と幸福になる法則とで、実はイコールのようにみえて相容れない部分がある、というのは、プチ成功されている方はすごーくよくわかってると思う。。

そのへんはおいおい書きたいと思うけど、絶対にどちらにもかかってくると確信しているのが。。

(これ、重要ですよ!)

「手間をかける」ということ。

もっというと「ひと手間かける」ということ。

これが斎藤一人さんのいうところの「微差力」の要諦なんだよ。

手間っていうのはかけなくていいところとかけなければいけないところがあって、このセレクトが、いろんな方が書いてるところの「選択と集中」ってやつ。

「選択」のセンスは自分にゆだねられているのだが、このセンスを磨く方法はある。それは、言葉でいうのは簡単だが「正々堂々と生きる」ということ。

天風さんのいうところの「積極精神」と同じ(だと俺は思ってる)。

正々堂々と生きる「だけで」なぜか人生において選択すべき事案がわかってくる。もちろんそれは人によってちがう。なぜなら人にはそれぞれ(正しい意味での)「個性」があるから。

イメージとしては正々堂々と生きることにより自分の内面の「アイ」("eye”)が曇っているのが、磨かれてきて、正しいものを正しくみれるようになるわけ。


でね、一方で現代人は時間がないわけさ。
という意味でも手間をかける事案を選択するのは大事なんだが、さらに!

(これも重要!)

「手間を効率化する」のよ。

ビジネスライクにいえば品質を上げるということ。
同じ時間で、生産性を上げる。

たとえば「ひと手間」なんてさ、長くて数分でしょ。この数分にある意味命をかけるというかね。

あ、もちろん、時間を短縮するっていうのも重要なファクターとしてあるのね。1日24時間しかないのは自明だから。

でもね、たとえば極力効率化、品質向上の努力をすることにより、4分の「手間」が、他人でいうところの30分の「作業」に該当するぐらいに、なっちゃうわけよ。

そしたらさあ、それを年単位で続けていったらそれはそれはオソロしいことになる(良い意味で、ね)。

ビジネス・シーンでもプライベートでもどちらでも、選択した後に「ひと手間かける」。
プライベートで始めてみてそれをビジネスで応用するもよし、逆もよし。

とりあえず、やってみるというか意識してみて損はない。いや、得しかない


あー、また重要なこと書いたぞ。ピンときた方、やってみて!
少しずつ少しずつ人生変わっていくから。であるとき「思えば遠くへきたもんだ」と気づく。

独りトヨタ式

stevengerrard.hatenablog.com

独りトヨタ方式プレイやってんのよ。ここ7~8年。
日々自分の生活習慣をカイゼンしてんの。

ちょー微調整ね。

たとえばモノの置き場を変えるとかね。そういうの大事。

窓ガラス曇ってたらささっとふくとかね。5秒かかんない。
そういうのも大事。

どーしても急いでいるときはメモ帳や付箋に書いて週末にやる。
これ、大事。

カイゼンタスクではなくて、検討課題とかだったら、自分にメールを出しておく。
で、作業に落としこむ。

この積み重ねで、今のオレがある。
ビジネスでやってることとなんら、変わらん。だってオレ自身が商品だからねえ。。
俺自身がオレ自身をブラッシュアップさせていかないと。。誰もやってくれないし。
時代に取り残されて家族ともども路頭に迷う。


ただし!周りはこの微差の積み重ねでオレがどんだけ変わってきてるかなんて、わからない。

だから別にわかろうとしてもらわなくともよい。

でもなんとなく周りの人間はオレが、「なんか変わったな」と思っているふしがある。
それはなんとなく感じる。なんか「しめしめ」と思うw

「声が大きいヤツ」

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(以下に書くことは比喩的表現)

「声が大きいヤツ」ってのが今までの俺の人生で何十人、いや百人単位で、俺の人生の風景で「通過」していったような気がする。

ドップラー効果の救急車みたいな感じで、だんだんと遠くにいってしまった。

 

声が大きいヤツって俺の近くにいるときは当然、うるさい。けど、あんまりそれに対して感情を荒立たせないほうがいい。なぜなら、いつかはどっかいってしまうから。

 

うるせーからひとつの場所にとどまっていられないんだよ。結局居ずらくなって。

 

そういうヤツってどんどん移動していたるところでわめきちらして生きていくしかない。

 

なんか「声の大きいヤツ」と、仕事でもプライベートでも、関わるようになってしまったら、ほうっておきゃいいの。気にしなきゃいいの。

やがていなくなると思って。

 

ただ、そういうヤツらって基本バカだから、こっちがほうっている、気にしないでいる、という姿勢は見せとかなきゃダメだよ。

 

 

昔は、なんかうるせーな、と反論してみたり、あんまりうるさくて逃げちゃったりしたけど。。

 

いちばんサイアクなのは、自分もそれに同調して騒いじゃったりね。

そうなったら自分も人間のクズに堕するから、どっかでやめたほうがいいよ。

 

人生後悔したくなかったらね。

もうホントもろもろ。ごった煮(苦笑)

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エンジニアライフのボツ原稿?というわけでもないけどラフスケッチの状態のまま放置され、ところどころ虫食いで採用。

 真夜中に、セブンイレブンに売ってるなんとかというお菓子を無性に食べたくなったら、ただ行き、そして買うだけです。

 おっと、これをいってしまうと身もフタもないな…(苦笑)

 夜中に食べたくなるシリーズの続きですが、自宅にいるとき、深夜にどうしても、たまに職場近くで飲んだ後〆で食べているこってりラーメンが食べたくなった、と… 行くにしても、終電終わってるし… みたいな?

このぐらいになると、直線的に、行って買ってゲットする、というわけにはいかないので、我々の頭の中では「計画」が発動されてきます。

 まず「計画」(すなわち"Plan")フェーズにおいて「おいおい、ホントに食べるのか?」「ダイエット中じゃないの?」とかそういう葛藤があり、でもお腹がぐーぐー鳴ってしょーがない、という喫緊の状況下でもあり(笑)、まず、"Go"/"Not go"が決まってきます。

 本当にそれを食べるのであれば、まさに今タクシーに飛び乗って出かけるという選択肢もありますし、もう眠いし面倒くさいから動きたくない… というのであれば、「今はコンビニでカップラーメンでお茶を濁し、月曜の11時半にそこのラーメン屋に駆け込む」という選択もありますね。

 あるいは、自宅から歩いていける距離の駅前の、求めているラーメンとはちょっと違うあっさりラーメンで手を打つとか(笑)。

 こういうのも立派な「計画」です(笑)。 

 何がほしいのか? 何を実現させたいのか? その規模が大きくなればなるほど難易度が高くなるので、”Plan”にかける工数も大きくなります。

 そして、実際のIT業界におけるプロジェクトと同じように、莫大な工数をかけても完遂できない(実現できない)ことも多々ありますよね。

 あるいは”Plan”のフェーズで「今のオレにゃムリだね」とあきらめることもあります。でも、どんな規模であっても、どんなに荒唐無稽であっても、死ぬほど「ほしい!」「実現させたい!」というのであれば、もう少し智恵が出てくるものです。

 ビジネスの成功本は、おおよそそういうストーリーで書かれていますね。あ、あと「プロジェクトX」もそうでした(笑)。

 それが高いか安いか、大きいか小さいか、は関係なくって、何かモノ/コトを強く欲しい!!とと願い、実現させていくことは、未来を自分の思うがままに変える、ということなんですよ。

 コンビニでコーヒーを買うのだって、そうなんです。コーヒーを飲んでカフェインを摂取してほっと一息ついている、という未来予想図を実現させにいってるだけですからね。

 そして、強く願い、実現させる、の間には神は介在せず(苦笑)、"Plan"と"Do"があるだけなんです。"Plan"の品質が上がれば上がるほど、"Do"の品質も上がりますので、実現の可能性はあがります。(コンビニのコーヒーの例のように、簡単に実現させることができる場合は、計画は一瞬で終わりますがw)そして「強く願い」が強ければ強いほど、人を引き付けるんですよね。それを実現させるためにManPowerが必要になることは、規模によってはありますからね。

 えっと引き寄せの法則と「小損を取る」と"Plan"/"Do"の話との関連性についてはわかっていただけましたでしょうか?(苦笑)


 それをドキュメンテーションするかどうかの話で、やりたいことを実現できている人は、「両輪」でやっているはずです。つまり、私のこの「小損を取る」理論と似たようなことを必ずやっているはずで、それぞれの方が未来を明るくする具体的手法をもっているはずで、その手法によりなんとなく未来を明るい方向へ向けながら、具体的な計画をたて、そしてそれを遂行している。

 

 


なんかうまくいってる感のある、いろいろ引き寄せてる「風」の人は、たまにいるんですけど、実はこういう方って無意識のうちに小損をとれてる人なんだと思いますよ。

私のように育ちの悪い人間(苦笑)は、そこに至るまで訓練が必要なわけですが、親の躾、教育、家庭環境が素晴らしかった人というのは社会に出た時点ですでに「小損を取る」の自動化ができているわけです。だから、強い。

そういう方の印象って「しなやか」なんです。

さて

小損を取るというベースがあり、引き寄せの法則の恩恵にあずかっているように見える人というのは、それは「たまたま」です。(ここ、重要)

小損を、「下心」なしに自動化して行えるようになった人は、小得なり、小得が積み重なった結果としての大得を引きます。(略)


なのでこれは「引き寄せ」とはまったく相反する考え方ですよね?

ここまでが前提。さて、どんな得を引くのかわからないのであれば、たまたま!自分が具体的に、強く、望んでいた事象を引き当てることも、ありますよね。「たまたま」。

そうなると、実現したほうもびっくりなので、周りにいいふらします。結果としてまるで「引き寄せた!」みたいになっちゃうわけです。

もうひとつのケースとしては…

まず、小得/大得を引くということは、イコール、「人生が好転する」ということです。ここまでは、異論ないですよね。

ただし、好転といってもじわじわです。

でも、じわじわであっても、好転していけば、マインドも変わってきますよね?当然。少しずつ、ポジティブに変わってきます。

(あくまで、少しずつです)

そうすると、ですね、ふつうの人は、何か強く願い事をしていたことなど、忘れてしまうのです。

何かを強く願っている状態、というのは、ほぼほぼ、人生が好転する前なんです。だから、望むわけですよね? 一発逆転的な何か、を。

でも、好転が始まると、その願っているものは必要なくなってきちゃうんですよね。


 たとえば「報われたい」とか「感謝されたい」とか… 小損というのはそういう目的で取っていくわけではありません。当然、お金をゲットするためでもありません。

 小損を積み重ねている過程で、ぽこっと願いがかなうことはありますが、それはただの偶然です。

 そういうヒト(下心があるヒト)は、また「矯正」が必要なんですね… そういうヒトは、「こんなにオレ(アタシ)が小損をとってんのに、ぜんぜんいいことなんかねーじゃねーか!騙された!!」とか言い始めて、やめちゃうんですよね。

 その考え方が根本的に間違っているのです。あるいは、「ぜんぜんいいことなんかねー」といいながら、毎日お腹いっぱい食べて生きていること自体が、その人にとっての「小得」なのかもしれません。

 というかそういう考え方の人には「小得」しかきませんよね… 人生のバランス的に。「小得」を引いているだけでもうけもん、というか。

 未来を「なんとなくいい方向に変える」ぐらいしか人間はできない。

 

人生とんとんである、という前提で、小損を取る

人間、無意識のうちに小得をとってしまっており、さらにそれに気づいていないので、たまに中くらいの損がやってきたときに、自分ばっかり。。という気持ちになる。
でも結局はバランスがとれている。

であれば、無意識のうちの小損をとり、たま~にささやかな「得」を引いたら、ラッキー! ついてるー! という人生のほうが


人生は概ねとんとんです。ということは、ですよ、現実として人生楽しく過ごしている人とそうでない人がいるということは、そこは単に気持ちの問題なんですよね。

私の「手法」は、経験として人生、悪いこともあったし、良いこともあったので、これからも、悪いことがあればまた良いことがあるだろうなとおもうだろうし、良いことがあれば悪いことは起こるだろうなと思いながら生きていくことがでいます。

私はもうずーっと小損をとり続けている人生ですが、それを自動化したところで日常で発生している悪いことを予防できるわけではありません。そのへんは、まったく、私のコントロール外だからです。ただし!私は、前も書きましたが、自分の寿命まで全うしたい!そこまでは植物人間とか寝たきりになりたくない!!という強い気持ちを持って生きていますので、そのために日常で小損をとっている格好ですので、おそらくそれは実現されるに違いないと思います。
具体的にいうと交通事故で即死とかはないんんじゃないかな、と。

あ、そうそう、それで、大事なことを書くのを忘れてました。
良いことの後には概ね悪いことがきます。その悪いことが終わったときに「『それほど』大したことじゃなかったな、と思える自分は成長したな」と必ず思うこと。
で、良いことがあったら、無邪気に、オーバーに、大ラッキー!」と思うことです。

そうすれば、事実としては「とんとn」であろうと、気分というか、自分の人生は最終的には六分四分ぐらいで満足のいく人生になるのです。
いや、それは贅沢すぎますねえ。52対48ぐらいまでもっていくのが目標。

凡人の話。凡人じゃない人はまた別なストーリーがあり、とんとんじゃないこともある。とんとんじゃないから凡人ではないのだ。

楽しみながら節約

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まず、無駄な蓄財をせず(日本経済の循環に貢献)
健康に留意し、
人生の満足度を極大化することに注力し
(つまり、あんまりガマンはしない)

一方では節約のスキルを高める。
無駄な蓄財をしないっていうのは宵越しのカネは持たねえ、ではない。
たとえば老後の資金とかね、最低限のは必要。それは当然。

楽しみながら節約のスキルをたかめれば当然、可処分所得は多くなってくるんだから。
人生は好循環するに決まっている。

掃除2

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なんかいも書いてること。。(整理)
 

掃除というのは小損をとる行為に他ならない、どころか象徴?

 

・排水を制するものは人生を制す

 

・汚れたから拭く、じゃないのよ。磨いてピカピカにするの。(プロアクティブ

 

・四角い掃除を基本とする。掃除するのに障壁となる家具類は「どかして」きれいにするクセをつける。つまり、一見みえないところにゴミがたまっていることを防ぐ。そうすると家にはんなりと福がくる(ような気がしてりゃそれでいい)