小食がトレンドに(なるといいなあ)
歳をとったらやること。
実際オレももうすぐ年寄りになるわけだが。。
「基礎支出」を減らしていこうと思っている。てかこれMUSTだと思ってる。
つまり生活費+遊興費で、自身が人生に満足できるぐらいの額のことね。
この中で重要なファクターとして当然食費も含まれるから、まずは、食べる「量」を減らしていくのもMUST。
おいしいものを食べるのをあきらめろっていってるわけじゃない。少しでいいんだってこと。年寄りは。
小食が健康のキモだよ。
食に関する欲求を自身でセーブできれば、他の別な「欲求」のたぐいはほとんどセーブできるよ。
つまり、なんていうか。。
いわゆる「がめつさ」から年齢とともに解放されていかないと、人生楽しく暮らしていけないわけです。
健康とは数値ではない。
(20121229のメモ)
健康とは数値ではない。
・すがすがしい気持ちで一日一日を送れるかどうか(の積み重ね)である。
・仕事が「うまくまわっている」感覚を追求する(過程)である。
朝すがすがしくとも、ビジネス・シーンに飛び込めば常に敵キャラが襲来してくるし。
自分がすがすがしくとも周り(部下やステイクホルダ、お客さん等)はあなたの「すがすがしさ」を目の敵にし、引きずり下ろしにかかるかもしれない。そういう、嫉妬深いヤツばっかだから。
それは事実として、そうなんだから仕方がない。そんなヤツらに引きずられるのはホントにバカバカしい。
ので、どうするか? といえば、
・闘うこと。基本的に、健康になるためにはこちらから良い環境を求めなければならず、そのために「闘う」必要も発生するかもしれない。それは以前から申しているとおり。
敵キャラとも、たとえばそれがお客さんであっても闘う必要が生じるかもしれない。(ただし「暗闘」にとどめること)
・精神状態を常に安定させること。そのための努力を惜しまないこと。
一喜一憂しない。そのクセ(ちょっと前に流行った、「自分に素直に」とかそういう間違った考え)は今すぐやめなさい。
感情は、「最後の砦」である。セルフコントロールして常に安定させる。具体的にはね、常に自分に対して「どうどう」と自制をかけるクセをつける。ケイゾクすること。
ただ望んだってダメなのよ。
まあただ望んだってダメなのよ。
強く望むとね、まず努力したくなるわけ。スポーツでいう「練習」ね。
言い方変えるとね、努力(練習)したくならないような願望なんてカスだよね。すぐうっちゃっていいよ。
だってさ、強く望むとふつー「むずむず」するはずだもん。「むずむず」ってのはね、「何かやらなきゃ何かやらなきゃ」っていう感情ね。ヒッシこいて「何かって何?」を探してる状態ね。
それって100%じゃないからね。「何かって何」は試行錯誤が当然。「わかった!」とか思って何かをやってみてぜんぜん的外れなんてことは日常茶飯事だって思っといたほうがいいよ。
たーくさんやってみるんだよ。
何か強く望んだことを実現させるため、パラレルにたーくさんやっている状態、まできたらしめたもんだ。
あそうそう、その状態まできてはじめて、「結果」を漠然とではなく具体的にイメージできるわけね。
何かを強く望んだとして、それを実現さすためにいろいろやっているうちに、どうしても微調整が入るわけ。ぶっちゃけその願望がちっちゃくなっちゃってることも、あるさ。現実を見据えるとね。
でもまあ、それは仕方がない。願望のベクトルさえあってれば、別にいいの。
でね、これはこの努力を続けていたら実現可能ではないか?という確信めいたところまできたときにはじめて、結果の具体的イメージがはじまるわけよ。
この努力を続けていたら「どうなるか?」をイメージすることそのものなんだよね、実現可能では?と確信することってのは。
違和感を感じるものたち
何度も書いていること(だと思う)だが、とある時期からね、特に服飾なんだけど、ちょっと違和感を感じるモノを選び、身につけるべきだと思ってます。
特に、世の中的にはおじさんおばさんと呼ばれる世代の人たち。(もちろん自分含め)
別に、無理に若作りしろといってるわけじゃない。若づくりだけが違和感ではない。
とにかくね、自分が心地よい服装をしていると衰退するんですよ、実は。良くて現状維持。この進化が激しい時代の現状維持は衰退と同じです。
この、一歩を踏み出すはけっこう簡単でね、家族のいる方限定だけど家族にけっこうまとまった金渡して(少なくとも2万以上)、オレ(アタシ)にいちばん似合うと思われる服買ってきてくれ、とお願いする。
そうすると100%、自分の好みじゃない服買ってくるよw
あ、もちろん、絶対に自分の好みを、暗にでも強制しないことが条件。すべて投げ出す。すべてまかせること。
自分の好みでないモノを買ってくることこそ想定内なので、それを見せられてもゼッタイに!イヤな顔ひとつせず満面の笑みで「そーかオレ(アタシ)はこれが似合うんだーありがと!」とお礼をいうこと。
おつりは、受け取って、飯代に使ってしまうこと。「一旦渡した金だから、これでおいしいもの食べようか!」みたいな。
そうやってお礼をいってあげれば、いろいろぺらぺらとしゃべるから。たとえばね、アナタはモノトーンが好きみたいだけどアタシは原色が似合うと思ってたの!みたいなね。もちろんその逆もある。(もっとシックなほうが似合うよ、みたいな)
でね、それを着こなしていくことにより自分の成長につながり、かつアナタ自身が「次のステージ」にいけるのです。
2万でそれができるのであれば安いもんです。
だからね、自分が停滞してるなー、なんて感じているのであれば、ぜひこれはやってみてください。
家族がいないとか心もとないのであればトモダチでもいいし。
トモダチもいないんだったらw洒落た店にいって店員さんにセレクトを丸投げすること。ゼッタイに自分の意見を言わずに丸投げすること。
自分が好みじゃないモノ(かつ、相手が、自分に似合うと思ってくれているモノ)をみたときに違和感を「排除」せず、大事にすること。
しあわせに生きているヒトたちの共通点
しあわせに生きているヒトたちの共通点をヒッシで探したんだよオレは。
まずひとつめは、カンタンなことで、
「しあわせに生きようとしている」
これだけ。
これすら、やれてない人が多い。。というか日本人のほとんどがそう!
不幸なりたがりだから。
もうひとつの共通項はね、そういうヒトたちはオトナになってからかーなーり!努力してるっていうこと。
および、その努力を努力と思ってない、っていうことね。
そういうヒトたちの行動ってすごいのよ。こりゃかなりの努力だなと思ってほめたりすると「え?」って顔をする。当然ですよ、と。ムリしてないわけ。ホントにホントに、ふつーにやってるの。オレらだったら「ムリ!」と投げ出すぐらいの行動量をね。
だからさ、もはや凡人との差は天文学的なのね。
言い方を変えるとどーだ!努力してるぜ!みたいなヤツはしあわせじゃないわね。
これも、アタリマエのこと。
こつこつ
オレの(嬉しい)最大の誤算はね、自分がこつこつと行っていく才能があった、ということを知ったことだよね。
オレ学生の頃、絶対こつこつと勉強できなかったからさ。だから、自分にはそういうこつこつ才能は皆無だと信じこんでいた。
のだが、今思い返せばそういえば17歳ぐらいの超多感な時期からこづかい帳はこまめにつけていた。自分が夜こづかい帳つけてるのを「だせー」と思いながらやってた。でも勉強はまったくしなかったww
よくわからんw
バイトも、けっこうマジメで、皆勤だったりしてたね。しつこいけど勉強はしなかったw
だからね、今のオレは、こつこつやるタイプのルーティンが積み重なっていっても、けっこうやっていける。むしろそれを望んでいる?日常がやれる範囲のルーティンで埋まっていってほしいとすら思える。だってそのほうが楽だから。
1日数分で終わるルーティンなら週5回やりゃいいんだよって話。
それが1年積み重なったらすごいことになるよ?っていうことをオレは知ってしまったからねw