メイド理論を論破したい。
自分の、そして家の生産性を上げるためにメイドを雇いなさい、っていう理論を論破したいんだよなー
時間をカネで買いなさいってのは賛成なのになぜ俺はメイドに拒否反応起こすんだろうか?
あまりにも欧米っぽいからかな。
確かにね、家事労働を外注することにより幸せになる道は、あると思う。でも幸せの道は一本ではないよ、と。
俺自身がスーパーになって、生産性上げて、家事もやっちゃえばいいじゃん、じゃダメなんかね。
そういうヤツらの言い分って自分の時給(価値)を上げるため時給の低い労働に手を染めるな、っていうことなんだろうけど、それって根本的におかしくね?と思うんだよな。
なんかさーそういう欧米式の合理的な幸せのつかみ方に一泡ふかせてやりたいんだよなw
あ。。
そういえば昔思ったのは「身体性」。
たとえばスクワットとか筋トレって完全に「労働」じゃね?でもそれ外注しないじゃない。あたりまえだけど。
家事労働って、自分が「身体性」を感じ続けるために、必要だと思うんだけどなー