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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

習い事の意味について考える(2)

2013年10月 子育て、教育論(「ゆとり」永久追放)

tatsuzawatokyo.blog.fc2.com

今の親たちってさ、自分(親)がかかわりたくないところは、親の都合で放置プレイしたりするから。アレはズルいよね。「子どもの自主性にまかせる」とかさ、都合のいい言い訳の文句があるからな。

えてして、親が見てみぬふりしたいところが、まさに子どもが親に介入してほしいところだったりするからね。


あのね、過去をふりかえって、たとえば、「あの頃習い事にいくのがイヤだったけど、おかげで上達できたし、今では親に感謝している」とかコメントするオトナがいるでしょ? 親バカどもは、成功者のああいう物言いを心の支えにしてるんだろうけどさ。。

あれは「成功者」の物言いだから! アンタの子どもが成功者になるとは限らんだろ?
99.99%の凡人は子どもの頃の習い事はオトナになって何の役にも立ってない。

つーか、その本人が役立ててないの! わかる?ここが重要なとこ。

成功者は、子どもの頃の習い事を自分の意志で役立てることができる。凡人は、できない。
ではその差はどこに出るのか?

親は、そこを考えなきゃいかんのだろ。


やっぱ効果があるのはさ、イチロー伝説にもあるけど、毎日毎日同じ事をするってこと。毎日20分ぐらいでいいんだよ。でもそれを、年間360日続ける。(年5日は、休暇日)

習い事ってさ、送って迎えしてなんだかんだで2時間ぐらいかかるだろ。長すぎなの! しかもレッスンは週一で賞味75分ぐらい。少なすぎ!

サッカー好きな子は、スクールが週一だとしても残りの6日は、飽きずに家の前で自主練やってるでしょ。うまくなってゆくのが楽しくてしょうがないから。で、より良い環境にある場合は週一ぐらいで試合してる。毎日毎日携わっていてそれがまったく苦痛じゃない。理想的だよね。

サッカーじゃなくてもいい、そういうものを見つけるの! 親子で、死ぬ気で!
たとえば4つの習い事を数年続けちゃうとするじゃん、だらだらと。そういう親子って「見つける」ことから逃げ続けてるだけなんだよ! どっかで、半年ぐらいで見切りつけちゃえばいいんだよ。ひとつにしぼるか、しぼれないんなら別な習い事をみつけるか。

だから、親子で見つける過程のほうが、実際の習い事より大事なんだって!

最初の結論の繰り返し:毎日毎日別な習い事さすのは、(見つける「覚悟」がないかぎり)意味ない。