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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「時間」を与えるのが教育

2013年09月 子育て、教育論(「ゆとり」永久追放)

tatsuzawatokyo.blog.fc2.com

生まれてくれてありがとう、大過なく育ってくれてありがとう、っていうキモチは、はっきりいって周りの親御さんたちよりも強いと思うよ。

いろいろ子供らにキビしいことは言うが。。
でもね、たとえばさ、子供がぼけーっとしていると微笑ましいというかね。あー、なんか考えてんだろうなあ、みたいな。「ぼけっとするな!」とはいわないなあ。ぼけーっとするのは大事だからさ。


結局ほとんど習い事をさせずにきてしまったが。。そのことがどう転ぶかは、わからない。失敗なのか成功なのか。。結果はオトナになってからでる。

でも、でもな、オレは、子供が毎日何らかの「予定がある」みたいな状況ってキモチ悪くてしゃーないわけね。だからその直観にしたがって「実践」してるわけで。

実はね、オレのまわりの大部分の親も同じことを考えている、のだけれど、彼らは周りに流されてしまって、実践をしていない。

いや、オレはね、習い事さすのに反対じゃあないのよ。でもね、オレの周りの親たちは、あまりにも「まわりも始めてるから。。」という動機でやらせすぎなの! そこには自分の直観がまったく入ってこない。


なんつーかな。。オレは、たっぷりと「時間」を与えるのが教育だと思っていて、オレのまわりのほとんどの親は、たっぷりと「機会」を与えるべきだと思っている。「きっかけ」とでもいうのかな。
それがイコール、習い事というわけ。

前者と後者は、貴賤はないと思うぜ。オレの意見も尊重されていいし、子供にたくさんの機会を与えようという動きも正しいっちゃ正しい。

ただね。。オトナになったら、時間はねえぞ、と。子供時分から「予定を入れてゆく」クセをつけてどうすんだ? と、個人的には強く思うわけだ。