元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

僕はヒマ人が好き(4) ヒマだから掃除する

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なんだか「ヒマ人擁護論」についてどんどん書きたいことが出てきました。

なんでこんなに書くことがあるのかといえば、未だ自分に100%の自信が持てていないからなのでしょうね。自信が持てれば周りに対して過剰に反応することもなくなると思います。

でもホント、この歳になって思うのですが、若い頃と比べて、ヒマがないとクリエイティビティが生まれない、といいますか「育まれない」というか維持できないというか。。

1日数分でもいいから何もしない時間、「無」の時間を意識して捻出しなければならない。自分の品質をKeepするためなのですよね。いつまでも日常に流される自分に酔っていてはダメみたいです。


たとえばFacebookですが、友達や親類に対してまめに近況UPしてることを話すと「俺なんてぜんぜんログインする時間もないし」ときます。まるでその回答をすでに用意していたかのように、ね。

※そういうコメントをFB上でいただくわけではなく、もちろんオフラインでいわれることです

自分はある日から、ウオールに一日一センテンスでもいいから毎朝必ず近況をUPしようと決めて、もちろん一日も欠かさず続けてますし、どれぐらい経ちましたかね。。やっと、自分の生活サイクルの一部になってきました。

僕のこのアクティビティに対して素直に「いいね!」反応を示せる人は、見込みあります。(上からですみません、いつも上からいわれているのでたまには。。)

「それが何の意味があんの?」とか言い出す人は、ダメですね。そこには、継続ができる人間に対するヤッカミが絶対に入っている。人の ことなんかほっとけばいいのに、わざわざムダな工数(?)をつかって引きずり降ろそうとする。そういう人はひとつも、主体的に継続できていることが、な いのでしょう。継続「させられる」ことばかりで。

自信が、ないのでしょうね。


まめに近況UPするかどうかは、忙しい忙しくないの問題じゃないのです。と、いくら説明したところで(ある種の方々には)わかってもらえないのだと思います。誰に対しても平等に与えられている24時間を、何を優先に配分するかは自由です。流されるのも、自由。後悔しないように配分するのは、自己責任。

他人に誘われたから、とか、眠いから、とか、自分の人生を言い訳することはできない。


あ、そういえば、僕の場合毎日の朝のTodoとして10~20分の掃除。週次の掃除(20~30分)、月次(1~2時間)、半期(半日)、年末大掃除(一日がかり)すべて定型作業として組み込まれています。

これも、「ヒマ人」でなければやれないでしょうね。掃除っていうのは「イソガシい人」がまず回避するタスクでしょうからね。

掃除をしない人はいくらでも言うことはあるでしょう。いわく「死にはしない」「週に一度(あるいは月に一度?)で十分」「奥さんに任せてる(男子限定)」等々、すべて「毎日掃除することに意味あんの?」(そんなことより他にやることあるんじゃ?)ということを暗にいってます。

掃除は、フリーで生計を立てている自分の「仕事」のひとつです。もちろんこれで報酬はもらえませんが。。

たとえば、コンサルで独立した方とかをみていると、多くの方は時間をつくって、読書に充てています。生活かかってるわけですから、死ぬ気で時間捻出して読書してます。おそらく、サラリーマン時代の数倍。

それは、独立した方の「仕事」です。それで直接的にお金をもらえるわけではなくとも、かなり優先度が高いのです。

僕にとっての「掃除」はそれと同じ位置づけなのです。(もちろん、読書もしていますよ)

ところで、毎日掃除することの意味、ですが。これは僕の持論ですが、掃除は「汚れたからきれいにする」ではないのですね。「攻めの掃除」。スタジアムとかでよく「きたときよりも、美しく」と標語が貼ってありますが、それと同じような感じです。ある程度きれいなのであれば、ますますきれいにする、ということ。

強引にひきつけると、独立した方の読書も同じだと思うのです。必要にかられて技術書やマニュアルを読む、とかそういう直接的受動的なことではないのです。いつか役に立つかもしれないし立たないかもしれないけど、いつかご縁のある良き仕事のために、読んでおかなければならないのです。それと、自分をスケールアップしてゆくためにも。もはや、組織に埋もれて護送船団方式でビジネス・シーンを生き延びてゆくことはできない。自分が常にフロントなのです。