元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

町田宗鳳さん

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法然を語る 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

法然を語る 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

 

 時代はちょっと違うんですけども、法然さんは十三世紀の人で、織田信長は十六世紀の方ですけれども、やはり二人に共通するものは合理主義というか、迷信を信じないというか、そして個人の実力で物事の決着を付けていく、という生きる姿勢が非常に似ているように思うんですよ。私は自分の本の中に『野生の哲学』というのがあるんですが、そこで、「日本の近代を最初に開いたのは信長である」というようなことを書いたことがあるんですが、それは中世というのはヨーロッパでも日本でもそうなんですけれども、宗教的な権威が圧倒的な力を持っている。その背景には神への畏れというものがあるんですけれども、ヨーロッパなら教会、日本なら南都北嶺の大寺院、こういうものはちょっと挑戦不可能なぐらい大きな政治力と経済力を持っている。そして人心を信仰のほうから牛耳っていく、というようなところがあるんですよ。中世というのは、「中世の蒙昧」という言葉がありますけれども、宗教が圧倒的な力を持っている時代ですけれども、信長というのは無神論者とは言えませんけれども、かなり反宗教的な考えを持っていたわけですからね。例えば安土城を造る時に、京都の石仏を石垣に使ったと言われている。実際に使ったわけですけれども、全然神・仏を畏れないという面がありましたね。ちょっと極端な面があるんですけれども、信長というような強いリーダーシップを持った合理主義者が出てくることによって、やっと日本というのは中世にピリオドを打つことができた。それから近世が始まって明治までいって欧米の列強と競うことになるわけですけれども、あれが少しでも遅れていたら、日本というのは欧米、先進国の植民地になっていた可能性もある、と、私は考えているんです。ですから法然さんは「思想の革命家」としたら、信長は「政治の革命家」、日本の政治のあり方を根本的に変えてしまった。そういう意味で時間的な誤差はあるわけですけれども、私は法然さんと織田信長というのは何か一脈通じるものを持っている。しかも二人ともあまり都の中心的なところから出てきた人じゃなしに、法然さんは岡山の山深い里から出て来られた武士の出身である。信長の方も尾張の、どちらかといえば弱小の小さな大名のお家から出てきた。そういうところでも似通っていまして、やはり時代を変えるような強くて新しいエネルギーを持っている人は、何かそういう生まれた境遇というものが大きく影響しているんじゃないかなと、私は考えています。どちらも一種の危機的状況ですね。一つ間違ったら自分の家が潰されるかも知れない。周りにいっぱい力を持つ敵がいるわけですから、常に危機的な状況の中で生まれ育った。そういう危機感が彼らの新しいメンタリティ(精神性)を育てたんじゃないかな、と、私は考えています。