元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

引用:

blog.goo.ne.jp

以下、村上春樹さんインタビューの引用。社会人の方は刮目して見るべし。。


(略)きちんと一日十枚書きます。十枚以上書かないし、十枚以下は書かない。(略)ファーストドラフトを書くときは、これはもうペースを守ることがなにより大事です。
―どうしてペースを守ることが大事なんでしょう。
どうしてだろう、よくわからない。とにかく自分をペースに乗せてしまうこと。自分を習慣の動物にしてしまうこと。一日十枚書くと決めたら、何があろうと十枚書く。(略)決めたらやる。弱音は吐かない。愚痴は言わない、言い訳はしない。なんか体育会系だな(笑)。
いまは僕がそう言うと「偉いですね」と感心してくれる人がけっこういますけど、昔はそんなこと言ったら真剣にばかにされましたよね。そんなの芸術家じゃないって。芸術家というのは気が向いたら書いて、気が向かなきゃ書かない。そんなタイムレコーダーを押すような書き方ではろくなものはできない。原稿なんて締め切りがきてから書くものだとか、しょっちゅう言われました。
でも僕はそうは思わなかった。世界中のみんながなんと言おうと、僕が感じていることのほうがきっと正しいと思っていた。だからどう思われようと、自分のペースを一切崩さなかった。早寝早起きして、毎日十キロ走って、一日十枚書き続けた。ばかみたいに。結局それが正しかったんだと、いまでもそう思いますよ、ほんとうに。まわりに言うことなんて聞くもんじゃないです。
(略)
要するに、仕事にせよ、仕事以外のことにせよ、僕は好きなことを好きなようにやっているだけなんです。ストイックとかそういうものでもない。いやなことはほとんどやっていないんだもの。好きなことで多少の努力をするくらい、そんなの大したことじゃないです。

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六十歳を過ぎて、それから伸びていった作家というのはあまり思いつかない。(略)僕も六十歳を過ぎて、これからどうなるのかというのはまったく未知の状態だから、わからないまま実地にやっていくしかない。(略)僕にとって実地的ロールモデルになるような作家がいないんですよ。
―それはきついことですか。
でもそんなこといえばまあ、二十五、六年もフルマラソンを走ってる作家もいないからね(笑)。
(略)
とにかく自分の身体で試してみるしかない。毎日早寝早起きの生活をして、しっかり運動をして、ある種の節制をして、正しいものを食べて、と並べていくとなんだかばかみたいだけど、それを長い歳月続けていったら、自分の身にどんなことが起こるだろう? それを見届けたいという気持ちがあります。あくまで好奇心ですね。そういうことをした作家はあまりいない気がするから。
ビクトリア朝の作家、アントニー・トロロープはそういう生活を送っていたみたいですよ。あの人は郵便局に勤めていて、朝早く起きてきちんと小説を書いて、それから郵便局に行って働いて、帰ってきて、というのを何十年も続けていて、人々はそのことを知らなかったらしい。トロロープの本を十九世紀の人たちは熱心に読んでいて、評判もよかったんだけど、あるときトロロープの規則正しい日常と郵便局勤務がわかって、それでみんながっかりしてトロロープの本を読まなくなっちゃったという(笑)。
―なんでがっかりするんだろう
当時の読者は、そんな規則正しい生活をして書いている小説家なんか退屈だと思ったらしい。作家というものに、非日常的ロマンの香りを求めていたんですね。
(略)
(サマセット・)モームは作家についてもいろいろ書いています。世の中にはインスピレーションが訪れるのを待って書かないでいる人がいるけれど、そんなことではプロの作家にはなれない。インスピレーションなんて待っていたら、いつまでたっても小説なんて書けない。書くからには毎日たゆまず書くというのが大事なんだと彼は言う。
ただインスピレーションが訪れるのを待っていてはいつまでたっても書けないというのは、僕には当てはまらない。待っていれば必ず書くべきときが来るから、じっと待つのが僕の仕事だと思っています。翻訳したりエッセイを書いたりしながら待機していて、そのときが来たと感じたら、ほかのことは全部捨てて小説に取りかかる。(略)いったん書き始めたら、書きたくなくても書かなくてはならないということに関しては、モームに言い分は正しいと思う。
チャンドラーもほぼ同じことを言っているんです。とにかく一日まったく書くことがなくても、書かなくてもいいから机の前に一時間座っていなさい、と彼は言っています。その間は、本を読んだり、クロスワードパズルをしたりしていては駄目だと。ただじっとしていなさい。何を考えていてもいい。ただじっとしていなさいと(略)
―日本の作家で、規則正しく習慣的に書きなさいと言っている人は…思いつきませんね。
無頼派的なものが力を持っていたから。勤労者風の作家というのは、ばかにされると思っていたんじゃないのかな。そういう規則正しい生活を送っている人もきっといるとは思うんですけど。僕が勤勉に規則正しく働くようになったのは、店を七年か八年ぐらいやっていたことも大きいと思う。
(略)
店をやるのにくらべれば、小説を書くなんて本当に楽なものだと当時は思いました。こんあに楽でいいのかと思ったから、ある程度、自分に規制をかけないと駄目だと思ったんです。(略)書きたいときでなくても書くというのは、考えてみれば当たり前のことなんですよ。労働というのはそういうものです。店は時間がきたらあけなくちゃならない。今日はやりたくないなと思っても、やらないわけにはいかない。いやな客だと思っても、いらっしゃいませとにこにこしないわけにはいかない。そういう生活を長く続けていれば、書くということに対しても、同じ労働倫理を持ち込むのは当たり前になってきます。もし僕が学生からそのまま作家になったとしたら、労働倫理というような考え方はまず出てこなかったでしょうね。