元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

僕自身は、一種の物語という文脈でものを考えるから、意識するしないというのは、そんなに大事なことじゃないんです。僕の考える物語という文脈では、すべては自然に起こり得ることなんです。(略)遠隔的な父殺しみたいなことも、むしろ僕の考える世界にあっては自然主義的リアリズムなんです。だからたとえばナカタさんが殺してカフカの手に血がつくというのは、まったく不思議ではないんですよね。なぜかと言われても困るんだけど、それは当然あり得ることなんです。(略)なぜあり得ることかというと、普通の文脈では説明できないことを物語は説明を超えた地点で表現しているからなんです。物語は、物語以外の表現とは違う表現をするんですね。
(*ここの部分はもう少し説明が必要だと思うので、付け加えます。(略)カフカ少年の場合は(略)この物語には神、あるいは神に対応する存在はありません。あくまで水平的な魂のやりとりの中で、強制しないストラクチャーの中で、ものごとは進行していきます。別な言い方をすれば、交換可能なかたちで(交換不可能な要素はないという認識の中で)物語は進行していくのです。「すべては自然に起こり得ることなんです」という僕の発言はそういう意味です。「とにかくなんでもありだ」ということではありません。物語が水平的にそれを求めるなら、それは自然に起こり得るのだということです。物語が何を求めているかを聴き取るのが僕の仕事です。)