元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ラジオ深夜便(の雑誌)

日本の場合、言葉によるコミュニケーションがあまり重視されませんよね。そういう中で次世代家族と同居すると、「世話をしてくれない」とか「親近感を持ってくれない」とか、高齢者は疎外感を感じてしまう。日本は高齢者の自殺率が世界でもトップクラスなんですが、その内訳を見ると、独居のお年寄りより次世代家族を一緒に暮らしているお年寄りの自殺率のほうが高いんです。一人で暮らして感じる孤独より、誰かと一緒に暮らして感じる孤独のほうがつらいんですよ。
一人で暮らす孤独は必ずしも良くないことではなくて、人生のある段階ではいわば必然、自然な姿なのだと思います。「かわいそう」なことではないし、孤独をきちんと見つめて生きてゆくことが、これからは非常に大事になってくるのではないでしょうか。
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開業医として地域の高齢者と直接接していると、介護を受ける高齢者の側は、まだまだ、「子どもになんとかしてほしい」という願望を拭いきれずにもがいていらっしゃるなと思います。しかし、かつて異世代が同居していたのは、そうしなければ生きていけない経済的な理由があったからなんですよ。その貧困のくびきが取れた今は、世代ごとにそれぞれの生活を尊重していくことが大事なのではないですか。これだけ経済がグローバル化すると、子どもたちも親の介護と仕事を両立できるところで暮らせるとは限らないのですから。
(略)
女性の場合ですと、ささやかな世の中で日々を過ごしていく生き方が身についている方が多いのですが、問題は男性ですね。仕事から身を引くと、一気に社会とのつながりがなくなってしまう。ボランティア活動などでつながりを保つのもいいですが、何もせずにボーッとして暮らす、有意義かどうかなんて考えないで、ホワホワした生き方もいいのではないですか。イギリス人などは、退職後は庭でバラを栽培しながら、一日中バードウォッチングしたりして過ごしていますよ。よく歩くことも大事ですね。閉じ込もらず、肩書きなんていうこだわりを捨てて、ホワホワと、いろんな人とつきあうスタイルが大事じゃないですか。
―若い世代と一緒に何かするのがいい、ということもよく言われますけれども。
確かに、これまでは異世代との交わりがいいと言われてきました。保育所と高齢者施設を合築する試みもありましたが、実際にやってみると、「うるさい」と苦情が出たりして、必ずしもうまくいっていない。世代によって生活ペースも価値観も違うのですから、価値観を共有しやすい高齢者同士で楽しむ形を創っていくほうが自然ではないでしょうか。
(略)
小津安二郎監督の「東京物語」(1953年)がお勧めです。小津はこの映画で、公務員恩給で暮らす老夫婦とその子どもたち、男も女もそれぞれに収入を持って独立して暮らす家族を設定しています。家族全員が経済的に自立するとこうなるよ、ということを見事に描いているんですね。多くの評論家はこの映画の技法面を取り上げてほめそやしますが、家族問題を取り上げた映画としてご覧になるとおもしろいと思いますよ。
―老夫婦にいちばん親身になってくれたのが、戦死した次男の未亡人・紀子[原節子]という設定ですね。
血縁は人間と人間のいい関係を必ずしも保証しないという小津のメッセージですよね。母親・とみ[東山千栄子]が亡くなって、子どもたち全員が駆けつけるけれども、葬儀が終わるとさっさと帰ってしまう。「みんな薄情よ。お葬式を済ませたらさっさと帰ってしまって」と憤慨する末娘の京子[香川京子]を紀子が、「みんなそれぞれの生活があるのよ。こんなものじゃないかしら」と優しく説得するシーンは見事ですね。小津は、三世代同居の家族形態は貧困がもたらした制約によって維持されていたことを見抜いていたんです。そして注目すべきは、「『東京物語』の描く家族像はけしからん」という反応が、公開当時からなかったということです。現実の日本人は、当時から、家族にほのぼのとした幻想なんて抱いていなかったんですよ。