元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

東京と電車

コドモは「おいてかれる」感じにものすごい恐怖を感じているらしい、ということが、先日電車で移動していてわかりました。

たとえば、コドモたちが先に電車に飛び乗って、まだ自分がホームにいて乗らずにいるという瞬間。この間、おそらく数秒ぐらいなのでしょうが、この間コドモたちはものすごくコワいみたいです。

「このままおとうさんが乗ってこなくて、ドアが閉まって電車が出発しちゃったらどうなるんだろう?」と。。

まだ、ひとりじゃ何もできない、ましてや電車の移動もできない、という状況では、そういう妄想は恐怖でしょうね。。


でも、だからこそ、自分がついてやらなきゃ、と思うわけなのです。


僕は、東京をものすごく、密度濃く散歩(ミチクサ)しているおかげで、移動に恐怖感はありません。
おおよそ、地図と路線図はアタマに入っていますし、バスの運行状況もおぼろげにわかります。
そして、僕のミチクサはほぼ、独りです。独りの移動は慣れっこなのです。

でも、前にも書いたかもしれませんが、田舎から東京に出てきたばかり、という状況では、東京は恐怖感を感じる街なのかもしれません。

恐怖感を克服するために、訓練がいるのです。でもそれは、人生において特別必要なことではない。


僕の知人友人は、一緒に田舎から上京して、大学を卒業してUターンしたり、あるいは社会人になってしばらく東京にいましたが、半ば「夢破れて。。」Uターン、Iターンしたり。。

そういうヒトたちは、ミチクサをしなかったんだろうなあ。。と、今になって思います。
僕の推測ですが、ここ東京に対する若干の恐怖感を払拭できずに「終わった」のではないかと。。

そしてそういうヒトたちのほとんどは、かつて自分が暮らした東京のこと、東京でアソんだこと、を飲みの席などで誇らしげに語る。
それは、今の生活がそれほど楽しくないことの裏返しなのでしょう。


僕は別に、野望も何もなく、夢破れることもなく(そもそも夢もなく。。)東京でのほほーんと暮らしていますが、それはなぜかといえば僕がホンキになってミチクサした街であり、自分が18歳まで育った田舎よりも「わかってしまっている」からです。
ただただ、他のどこよりも暮らしやすいのです。だから、ここにいる。

それだけなのです。