元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

向いていない場所にいることはない

2012-04-26 - 【ひとり公論】([新庶民]論)

僕は他人にものすごくキラわれることもあるし、ものすごく好かれることもあるようです。

僕は、仕事でいろいろな現場を渡り歩いてきましたが、自分がここではものすごく、「足手まとい」なんだろうなあ、と、胃が痛くなるほど肩身が狭いこともありましたし、逆に自分はこの集団でなくてはならない存在であるに違いないと確信し、また、そのような評価を得、自由自在に動き回れた現場もありました。

えてして、後者のときは死ぬほど忙しくなります。が、ビジネスマンとしては成長のときでもあります。

そして、前者のような現場には、自分にとっても相手にとっても、自分がいる意味はまったくない。胃が痛くなってまで得られるものは、何もないのです。

コドモには(自分の子だけでなく)、月並みですが、キミたちが活躍できるフィールドは、必ずどこかにあるのだ、ということをいいたいのです。

僕はそれを、身をもって知っている。

あるフィールドではものすごく足手まといになり、ある集団ではイジメられるかもしれない。

でも、(ホントに月並みだけど)あなたのことを待っているヒト(たち)はきっといる。あなたの活躍を待ち望んでいるフィールドはかならずあるのだ、ということを、強く強くいいたいのです。

カンタンにいってしまえば、運動音痴がムリして運動部に入ることはない。音楽のセンスがないのにバンドをやる必要もない。

そういうことなのです。

いいたいこと、忠告しておきたいことはふたつ。

そういう、待ち望まれたフィールドにおいては、アナタはものすごく忙しくなりますよ、ということ。(覚悟すること)

もうひとつは、あなたが(もしかして)されたイヤなことは、他のヒトにはせず、あなたの中でとどめておくこと。