元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

健康とシステム

健康とシステム

前回、親戚や近しい存在に対してカネを使うことで精神的に安定する、ということを書いたんだけど、じゃあ職場の関係はどうなのか? と。

たとえば上司が部下におごる、とか、部下が積極的に飲み会に参加するとか。

それらはすべて、見返りを期待しているでしょう?

だから、それは、ビジネスなんだよ。
いってしまえば、ビジネス上の付き合いにカネを使うというのは「天引き」なんだよね。

 
ムカシ、福田眞純さんという歌い手がいたんだけど、そのヒトの曲のフレーズで「明日もこの場所にいるために」というのがあった。

ビジネス、特にサラリーマンの「付き合い」ってのはすべて「明日もこの場所にいるために」必要な経費なんだよね。

 
 
さて、
人間の身体っていうのは「システム」そのものであるともいえる。
だから、僕らが設計したり、構築したりする「システム」っていうのは、無意識のうちに人間のメカニズムに似せているのではないかと思う。

自分の身体を健康にしてゆく、健康を維持するっていうのは、システムエンジニアリングそのものだ。設計→構築→運用のサイクルも実は同じ。

システムに対する対処ってけっこう擬人法だよね。たとえばシステムの「診断」とかね。

でも結局、人間が作り上げる「システム」なんてのは、人間の身体の精巧さにくらべたら比較する対象にすらならない。

 
ところで、すべてが有機的に関連しているひとつの巨大な、「ネットワーク」として僕がとても興味があるのが、「街」という存在。
街というのは、「システム」というよりかは「ネットワーク」というコトバがふさわしい。

興味があるから、僕は街を歩くのが好きだ。ただ歩く。排気ガスにまみれながらひたすら歩く。歩けば、いや、歩くだけで、街についてわかったような気になる。
クルマで通りがかっただけでは街を「感じる」ことなどできない。

「街」とは、具体的にいっちゃえば、東京のことね。「華の都大東京」。

さっきのハナシと似てるけど、システムエンジニアリングにおける「ネットワーク」っていうのは、人間と土地と建物とその他もろもろが織り成す「街」(「人的ネットワーク」とでもいおうか。。)に似せてつくっているのだ。

いや、「似せて」というよりはね、そこから逃れることはできないんだよね。

 

システムエンジニアリングや、ネットワークをきわめるのであれば、内側に閉じこもっていないで、方法論ばかりを追求することなく、「身体」や「街」について考えてみたり、実際に歩いて感じてみるのも大事だと思う。