元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

趙州洗鉢(無門関)

趙州洗鉢(無門関)

趙州洗鉢

    • 趙州、因僧問、某甲乍入叢林。乞師指示。州云、喫粥了也未。僧云、喫粥了也。州云、洗鉢盂去。其僧有省。無門曰、趙州開口見膽、露出心肝。者僧聽事不真、喚鐘作甕。
    • 趙州、因みに僧問う、「其甲、乍入叢林(さにゅうそうりん)。乞う、指示したまえ」。州云く、「喫粥(きっしゅ)し了(おわ)るや、未(いま)だしや。」僧云く、「喫粥し了れり」。州云く、「鉢盂(はつう)を洗い去れ」。其の僧、省(せい)有り。


この話を完全に理解していないと思いますが(であるがゆえに)この話は好きです。
僕なりに、ポイントとなるのは、僧が「何か教えてほしい」と身構えているがゆえに、師匠のいうことがすっと入ってきて「有省」つまり悟りを開いてしまった、と。

つまりこの会話は日常の「なにげない」会話ではない。教えてほしい!という真剣な僧と「ならば真髄を教えてやろう」という師匠との緊張感の内在するやりとりだと思うのです。

交わされた問答は「ところで飯は食ったか」「はい、食べました」「ならばその皿を洗いなさい」のみ。
「平常心是道」そのものだと思います。