元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「予定を入れる」病

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「予定を入れる」病

大学のとき、ヒマだったからレポート書いたんですよね。。「予定を入れる」病について、みたいな。

確か、それとは全然関係ないテーマのレポート提出だったんだけど、そのとき思いついたことを書いてしまい。。教授からはほぼ黙殺されました が。でも落第ではなかった。

あの、数ヶ月先まで予定を入れなければ気がすまない、みたいなキョーハク観念と「日課」という考え方がリンクするのかどうか、を考えていた のですが。。

結局、予定が埋まってない、というのは、「日課」あるいは「週課」をことごとく設定していない、ということですよね。

だから、予定を入れなきゃ、と思うのであれば、日課をたくさん入れればいいはずなんですよ。(【重要】マーク)

でも、それをやらないのはなぜか? というと、日課ばかりの人生なんてつまらない、と多くのヒトが思っているからですよね。

それが、今の自分の考え方とは完全に合わなくなってきているのです。今の自分は、人生のほとんどの時間が「課」で埋まり、かつ、それで他人 に感謝されるのであれば、それはすばらしいことだと思っています。

そういう人生に目標設定しています。

究極的には、毎日働けばいいんじゃないか、と思うんですよね。盆暮れとかをのぞいて。

それが、自分が納得した仕事であれば。

毎日仕事であれば毎日予定は埋まっていますよね。「予定を入れなきゃ!」なんて余計なキョーハク観念に怯えることもなく。


未だに大学のときに考えていたことを連綿と考え続けているわけか。。

進歩がないのか、それが自分なのか。。