元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

成功のカタチ

成功のカタチ
正論を貫き通せる人間こそが成功できる、と、信じて疑っていません。

その、信じる力も大事ですが。。


「成功できる」とはどういうことか?

それは、「成功のカタチ」を自分の思い描くように選択できるということです。
「成功」イメージについてカタにハメられない。成功のカタチすら自分で選択できる。

それは、実は結構苦痛なのかもしれませんね。できあいの成功のカタチをスーパーでカネを出して買えばはいできあがり、というものでもないですか ら。。


僕の座右の書である「ブラスト公論」でいっていることと、結局は同じですね。「誰もが豪邸に住みたがってるわけじゃない」と。。

ブラスト公論―誰もが豪邸に住みたがってるわけじゃない

ブラスト公論―誰もが豪邸に住みたがってるわけじゃない

宇田丸さんは、この本では「好きな靴をいつでも買えるぐらいの生活」という金銭的基準を定義しています。おそらく、好きな靴をいつでも買えるぐら いの「カネ」そして「スペース」があれば豊かで幸せな生活という意味ではまったくOKだろう、とおっしゃっているのだと思います。

そのぐらいの金銭的余裕をベースにして、あとは自身の成功のカタチを描いてゆけばよい。


それ描く時点で葛藤はあるはずなのです。なぜ自分の成功は「大金持ちで豪邸に住む」ではないのだろう? とか。。
ですが、そうしたければ自分でそのように修正すればよいだけのハナシですし。。

成功のカタチはヒトそれぞれである、ということに納得するのが、まずムズカしいのですね。
こと現代では、マスコミの強烈な煽りがありますから。。それをくぐりぬけて、自分なりの結論を出してゆかなければならない。


成功のカタチが、逃避願望の結果なのであれば、それはおそらくダメなのでしょうね。
たとえば、毎日会社に行くのが苦痛だから、自営業をやりたいとか。。
そこには「志」がないのです。


ところで、これはまた別途まとめて書くかもしれませんが「成功」と「幸せ」は若干異なります。
ほんわかとした幸せ感を得ることと成功することとは、違うのです。

成功するためには計画が必要であり、幸せ感を得るために必要なのは単なる「思い込み」です。

この飽食の時代はもうデフォルトで中流の日本人は「幸せ」なのですから、あとは思い込むだけです。
成功するためにはもしかしたら、ほんわかとした幸せ感は捨てなければならないのかもしれません。
成功の先に見えているのは、おそらく「ほんわか」以上の幸せ感なのでしょう。


最初のハナシに戻って、ここで僕が書いたことすべてが「正論」なのです。これを愚直につらぬき通してゆかなければなりません。