元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

楽しく惑う

動物は本能で生きている(らしい)。
ということは、その行動は即「阿頼耶識」につながっているのかもしれません。(今思いついたことで、根拠はありませんが)

つまり、行動に対して意識は介さないのです。「即」なのですね。

人間は意識を介します。だから惑う。
でも、意識を介するのは人間にだけ与えられた特権のようです。

一旦意識を介するから、「考える」ことができ、それでいわゆる「文明」を生み出すことができました。


たまに、人間と動物とはどっちが上等でどっちが下等なのだろう? なんて、思ってしまいますが、
僕は人間のほうが優性であると、信じたいです。
人間と動物は平等である、という説はとりたくない。なぜならば、明らかに人間とそれ以外とは、異なるからです。

でも、好き勝手やるために生まれてきたわけではない。
優性だからといって「支配」するために生まれたわけではない。


そして、人間は惑う。それは不幸なのか否か?
たまにわからなくなってきますね。

人間だからこそ、「楽しく惑う」すべを考えることができると思うのですが。