元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

衣食住に追われるか、衣食住が満たされて悩むか

僕は、日本人を揶揄するときによくいわれる「世界中の何千万人といる恵まれない人々に比べたら、日本人のなんと恵まれていることよ」という物言いが、すごくキライです。

なぜならば、インフラや食料についての一次的、根源的な欲求が満たされた後の、「次のレベルの悩み」をカンゼンに軽視しているからです。


ですが、確かに日本人は、自身が恵まれていることを認識しなければならない。つまり、自身がもし悩んでいるのだとしたら、それは「次のレベルの悩み」であることを強烈に認識しなければならないのです。

この悩みは、実は根源的なものではない。でも、「次のレベルの悩み」というのは、それはそれで強烈なものです。

なぜならそれは「煩悩」だからなのですね。
衣食住が満たされてくるようになって初めて煩悩がやってくる。だったら、衣食住に追われているほうが幸せかといえば必ずしもそうではありません。

じゃあ衣食住が満たされた状態で煩悩も消してしまえばいいじゃないか、と傍観者はカンタンにいうかもしれませんが、なかなかそうはいかないものです。

この、煩悩を消してゆく作業、葛藤というのと、衣食住に追われる生活とどっちが苦しいか? はいちがいに比較はできないのです。