元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

家庭におけるトイレットペーパー交換係

僕は思うのですが、一生懸命生きている人間ほど、「トイレットペーパー」だの「ティッシュ」だのが、自分の目の前でなくなって、自分が交換する係になることが多いように思うのです。

そこで、「何でオレが。。」という気持ちを持たずに、嬉々として受け入れていればあら不思議、やがてその順番は別な人間にバトンタッチされる。

いや、カンゼンにそうなるわけではないのですが。。そんな気がする。つまり、自分がその係になる時期が、人生にはある。
それも、やがて過ぎ去ります。
ただし、それを喜んで受けいれないとずっと自分が係のような錯覚を起こすわけです。

これはおそらく、小さな、ほんの小さな、一生懸命生きている人間に与えられる試練なのだと思います。


一生懸命生きていない人間はどうか? といえば、おそらくですが。。
一生懸命生きている人間は、自分が係になる時期とそうでない時期がはっきりしているのですが、そうでない人間には、だらだらとずーっと、その役目が回ってくる。
「係」というほど頻繁ではないにせよ、そういう若干「損な役回り」が一生続くのでしょうね。


「思い込み」というのはホントに、大事なのです。