元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

回顧(懐古、解雇)しますか? ニンニク入れますか?

回顧(2007)

  • 宗教

今年は8月から(このあたりから)この日記の書き出しが劇的に、ばーっと増えていったことが、大きな出来事のひとつです。

何か、スイッチが入ったような気がしています。
その理由もわかっていて、「宗教」に関して思索することを「解禁」したからです。

それは、この日記でもおそらく何回か書いていますが、宗教に「のめりこむ」のとはまた違って、自分が悶々としながら考え続けていることに対する「触媒」として宗教を利用することに抵抗がなくなった、と。
いってみれば「宗教学」ですね。

  • タイトル変更、など

その宗教とのカラミで、ああ、自分が目指しているスタイルは「毛坊主」なんだな、ということがわかりました。つまり在家ですね。


この日記では相当「庶民」を批判しているのですが、批判しながらも「自分も庶民なんだけどなあ。。」という思いも捨てきれず、また、「ナニサマだ」「選民意識丸出し」みたいな批判も頂戴し、そういう批判ももっともだ、とは考えてきました。

というわけで、「庶民」の中にも旧、新があるのだろうなあ、という結論に至ったわけです。

私にとって「旧」庶民の定義は(今のところは)「マスコミによって洗脳完了されたヒトたち」「横並びで安心して努力しないヒト」です。
ですので、「新」庶民の定義はそれ以外のヒトということになりましょうか。

そしてもうひとつ、「選民意識」についてですが、選民意識は持つべきだと思います。これも日記で書いておりますとおり、上から目線の選民意識ではなくて、「横に逸れる理論」です。従来型の庶民から「オりよう」ということ。

次のステージに「上がる」だとどうしても上から目線になります。
そういうことを実感としてわかり始めているのが「新」庶民」かな、と。

  • 連帯

ちょっと前までは、同世代間で連帯したいなあ、とバクゼンと考えていたのですが。。
もちろんその思いも消えてはいないのですが、やはり区切るべき基準は「旧」か「新」かであって、年齢、世代ではないのだなあ、という思いは新たにしました。(今年)

言い方を変えると、残念ながら、同世代の「アラ」がよく見えた1年だったかもしれません。たとえば、給食費未払いの親の大部分は、自分たちと同じ世代だったりします。
払えるカネがあるのに、払わないというのは、「先鋭化された旧庶民」です。全共闘全学連の鬼子として生まれた連合赤軍のような。。(ちょっと大げさでしょうか)


明日も、回顧があったら続けます。