元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

あらためて「よりよく生きる」とは

本来の日記部分

  • 仕事

ココロから腹立たしい面談。一日ひきずりました。
カンタンにいえば「ヒトの尻拭いをしてくれ」という依頼。。
なぜそのヒトが、自分の尻拭いすらできない人材に育ってしまったのか、ということはすべて棚に上げられており。。「とにかくやってくれ」と。

これからもこの某社は、こういう人材を大量生産して、常にその尻拭いをする人材もセットで必要になるのだろうなあ、と。。
この会社だけではなくて、今の日本の会社組織というのは皆こうなっているのだろうか、と考えるとオソロしくなります。

人生観、のような、思想の話

  • あらためて「よりよく生きる」とは

「直感」に近いところで、「んー、それってあんまりよくはないんじゃない?」と感じることをしない。その連続性こそが「よりよく生きる」につながるのです。

これが結論。。

何か、ふっと引っかかることってありますよね。そういうとき、意識下で、自分なりの倫理観「みたいなもの」とこれから行おうとする行為とを瞬間的に照合して、結果として「んー、それってあんまりよくはないんじゃない?」という「感じ」が導き出される。全否定でもないし禁止でもない。でも引っかかりはする、みたいな。。

そういうときはだいたい、その行為は行いますね。高い確率で、そのぐらいであれば世の中に罰せられることもないですし。

でもそれを、やめる。何かしらの引っかかりを感じたときは、立ち止まるのです。(これは、比喩ではなく、ホントウに)
そして、深呼吸した後に、やめてみる。

その「やめる」という決断が、最初は負担に感じるのですが、いずれ慣れます。


ところで、探りはいれないことです。「なぜ」「あんまりよくはない」という引っかかりを感じるか、といったところを、考えない。まずやめるのが大事。

むやみやたらに比較しない、相対化しない、ということです。

この、考えをいれないで直観に従う、というところもナンチャッテ禅的ではありますね。

「考え」を絶対視してはいけない。表層的な「考え」が正しいと思ったら大マチガイだ、という。。

会社シリーズ

  • 同世代のヒトたち

自分の本来の立ち位置は、いわゆるふつーの「会社員」にすらなれない社会人のクズ、というところから始まっていますから、いわゆる「一流」というところに、就職戦線をくぐりぬけて就職し、窓際に行くことなくそれなりにキビしい仕事をこなしているヒトたちに対しての尊敬を忘れてはいません。

そして、思うところあってスピンアウトして独立したヒトたちに対しても。


特に、自分と同世代のヒトたちが、みんないろんな会社でもまれながらガンバっているなあ、と思うことが、最近多いです。

私は、いわゆる「会社」に常駐していながらもそれはポーズだけで、会社組織のしがらみの中には属していませんから、そういうところで縦横無尽に立ち回れる人間はすごいと思います。(それは、私にはホントに「ムリ」なことですから)
特に、同世代が軽々とそれをやっているのを見ると。。 ココロから応援したくなります。